親による「連れ去り」の当事者が語る 片親から引き離れた現実と共同親権議論の“問題点” (3/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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親による「連れ去り」の当事者が語る 片親から引き離れた現実と共同親権議論の“問題点”

作田裕史dot.
親による子の“連れ去り”は国際問題になっている(写真/PIXTA)

親による子の“連れ去り”は国際問題になっている(写真/PIXTA)

母親による2度の“連れ去り”にあったと語るAさん。後ろに写っているのは実弟(写真=本人提供)

母親による2度の“連れ去り”にあったと語るAさん。後ろに写っているのは実弟(写真=本人提供)

 夫婦げんかではAさんが“伝達役”にされた。義父から呼ばれると「お前にいくら金がかかると思っているんだ。もう出せる金など1円もないと(実母に)言っておけ!」と言われる。それを実母に伝えにいくと「そんなお金でやっていけるわけないでしょ! 養育費だってそんなにもらってないのに」と反論される。Aさんは義父と実母の両方から「お前のせいだ」と言われているように感じたという。

「居場所どころか、自分の存在価値まで否定された気持ちでした。僕は望んで母についてきたわけじゃないのに、なんでこんな目にあわなきゃいけないのかと。毎日が地獄のようでした」(Aさん)

 そして同居から10カ月がたった中学1年の冬、またしても家を出ることになった。ある日、母親から段ボールを渡されて「大事なものを入れろ」と命じられた。訳もわからずに段ボールに詰めると、それを運送会社に持っていかれ、そこで母親からは「もうここには戻らないから」と告げられたという。だが、せっかく新しい中学校の生活に慣れてきた時期に再び何の相談もされずに引っ越しをさせられることに、Aさんは強く反発した。親の都合で何度も環境を変えられることに、心底うんざりしていたという。

「自分は1人になっても中学1年の終業式には出る、と強硬に母に主張しました。それだけは納得してくれたようで、終業式までの3カ月間は家族3人で4畳一間の旅館のようなところを転々として、そこから学校に通いました。『最寄り駅だと義父に見つかる』と言うので、学校から離れた駅の宿に泊まって、午前4時に起きて通学していました」(Aさん)

 念願の終業式に出たAさんは、中学2年の春に再び北陸地方に戻り、祖母と4人で暮らすことになった。そこから地元の高校、東京の大学へと進学した。母親は専業主婦だったので、学費は高校は祖母が、大学は離れて暮らす実兄が用立てしてくれたという。

 そして社会人になった27歳のとき。ついに実父と会う機会を得た。ネットで名前を検索すると、タウン誌に同姓同名が掲載されていることがわかった。実兄の妻が連絡を取ったところ、本人であることがわかり、再会が実現したという。その時の様子をAさんはこう振り返る。


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