こうした複雑で不安定な生い立ちは、独特の色気を生む反面、繊細すぎて本物の自信を持てない精神性につながりがちだ。

 たとえば、1999年に自殺した沖田浩之もそうだった。祖父と父、彼の死後には兄も自殺するという家に生まれ育ち、17歳でアイドルとしてブレークしながら、起伏の激しい芸能人生を送った。独立問題で仕事を干されたりしたあと、津川雅彦と出会って役者としての幅を広げ、妻子も持ったが、36歳で世を去ることに。死の前年のインタビューによれば、父のあとを追うように病死した母との別れが打撃だったようだ。

 三浦の場合は、その葛藤をもっぱら仕事によって抜け出そうとしていたように思われる。女装の舞台に主演したり、CDデビューして音楽番組で歌やダンスを披露したり。日本のものづくりを紹介する本も出したりした。それは多才ぶりを示すとともに、自分探し的な作業でもあったのではと今となっては想像される。

 柳楽との関係でいえば、3年前に共演した大河ドラマ「おんな城主 直虎」での役柄が象徴的だった。ともに武士の家に生まれながら、三浦の演じた役はその宿命に殉じるかのように自ら死地に赴いて謀殺されるというもの。これに対し、柳楽が演じたのは盗賊に拾われたのち、その頭領として自由な生き方を志向していくものだ。

 どちらもハマリ役だったが、特に柳楽については役者として復活後、自由度が増した芝居のスタイルとも重なるものがあり、印象に残った。

 ではなぜ、柳楽は復活できたのか。ひとつには、十代という早い段階で挫折して、立て直しがしやすかったこと。もうひとつには、新たなパートナーと出会えたことが挙げられる。

 高校時代にひとめぼれしたという豊田エリーと19歳で結婚。長女も生まれた。「マイナビ転職」のインタビューで「勝負グッズ」を聞かれた際には、こんなことを語っている。

「嫁がパリで買ってきてくれたロザリオ、それと娘が1歳の誕生日を迎えた時に作った娘の指のサイズのリングは御守りのようなもの。必ず身につけて出かけます」

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古風で破滅的な死への衝動が?