「今まで元気だと思っていた親戚がいきなり末期がんになって……。その時、父親から『人生は簡単に終わってしまう時もある。だから東京で何かやってみたらどうか』と促されたんです。まあ、体よく家から追い出す口実だったのかもしれませんが(笑)」

 上京してまたアルバイト生活をする日々のなかで、「東京で仕事をするなら大学は出ておいたほうがよさそうだ」と痛感したという輝樹さん。当時では珍しかったフリースクールへ通うことを決断した。周りは有名高校中退かつ金持ちの子息が多かったという。

「親が金持ちでもない、田舎から出てきた底辺高校中退の僕は“相手にしても仕方がない”と思われていたようです」

 そんな環境に背を向けるように、フリースクールで猛勉強した結果、1年目で高等学校卒業程度認定試験(当時の大検)に合格。その後、宅浪期間1年を経て、早稲田大学教育学部への進学を果たした。その努力は並大抵のものではなかったはずだ。

「合格した時はうれしいというよりも脱力状態でした」

 ただ、短期間で勉強に集中しすぎたせいで、燃え尽き症候群のような状態になってしまったという輝樹さん。大学時代はスキーのサークル活動と飲み会が中心の生活に。キャンパスライフを謳歌した。

 そんな輝樹さんを再び地獄へ突き落としたのは、就職活動だった。

「就職氷河期だったことも大きかったですが、企業には僕の経歴がネックだったんだと思います」

 上場企業を中心に20~30社ほどエントリーしたが、2次面接まで進むのが精いっぱい。

「明らかに経歴ではじかれているのがわかった」

 さまざまな社会経験を積んでから大学へ入学していたため、実質的には「4浪」扱い。インターネットのエントリーでは「自分の年齢を選ぼうとしたらプルダウンにない」などの苦い経験もした。サークルの仲間と同じことをしても選考には進めず、内定をもらう仲間が増えるほど、孤独感を感じたという。

「結局、僕の周りからは仲間がいなくなりました。有名企業の内定を持っている仲間のもとに、後輩たちが群れているのを見ているのは、本当に辛かったです」

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武井咲に似た猫カフェ店員と食事に行くも……