小学生で人生を「諦めた」 究極のシンプルライフにたどり着いた男の境地 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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小学生で人生を「諦めた」 究極のシンプルライフにたどり着いた男の境地

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山下泰平dot.#朝日新聞出版の本#読書

 明治の文化を調べて日々“遊んでいる”という作家の山下泰平さんが、数年前から注目しているのが明治時代の「簡易生活」。人づきあいや見栄・虚飾を一切やめるという究極のシンプルライフのことだ。その実態は『簡易生活のすすめ――明治にストレスフリーな最高の生き方があった!』いう一冊にもなっている。そんな山下さんが語る「諦め」について。

【正社員は「しんどそう」と語る山下泰平さん】

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■「諦める」ことで思考がシンプルになる

 人って、人生に何かを期待してしまうと思うんです。お金持ちになりたいとか、何かをなしとげたいとか。でも、生きることは「諦める」ことだと考えると、執着がなくなってシンプルに生きられるようになると感じています。

 僕の場合、人生で何度か「諦めた」と感じた瞬間があるのですが、初めては、小学校2~3年生の頃だったと思います。

 それまでは、なんだかんだと楽しく生きてきたのですが、あるとき1日1回はイヤな思いをするなと気付いてしまったんですよ。頭が痛いとか、喉がイガイガするとか。これが一生続くのかと。

 朝起きて、まず歯を磨いたり、顔を洗ったりという行為も、これから死ぬまで続けていかなければならないのかと思ったのもイヤでしたね(笑)。

 ただ、その「諦め」というのは「死にたい」ということじゃないんですよ。不快なことも、うれしいことも受け止めて、背伸びせずに生きていくということです。

 今から振り返ってみると、それは「簡易生活」的な考え方でもありました。

 明治に発行された雑誌『家庭雑誌五巻九号』には、「煩悶とは何ですか」という投書があり、そこでは面倒な理屈を付けてゴチャゴチャ考えるのではなく、「唯一歩一歩光明の方へ進む工風をするのが利口」と結論づけられていました。要するに、手と頭を動かして工夫しろということですね。

 僕の言う「諦め」は、これに近いです。

 小学生の頃だけでなく、20代でも30代でも色々と諦めて、今では人からシャキッと見える人生を歩むことを諦めています。


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