大西:ただ地方のコンテストは形式も含めて旧態依然で動いているところもあって、主催者側の硬直した運営も出てきます。それに対して、ぼくらが「こうしてはいかがですか」と言っても、「前例がこうですから」。官僚的なんです。そこには写真の未来に向けてのエネルギーが希薄。そうした「慣れ」を断ち切るために、どこかでくさびを打ち込まないといけない。がんじがらめの制度からの脱却。
 例えば、審査をするとき、審査員は深々とした椅子に座り、その前をパネル貼りした作品が係員の汗とともに通りすぎて、「A」とか、「B」とか、評価を決めねばならない。一瞬でAかBかわからない写真があってもいいじゃないですか。あるいは写真に近づいて、粒子や調子をじっくり見たい。また相対的に写真を俯瞰したい。「こんなに広い会場なんだから、全部作品を並べて、そこをぼくが回りますよ」「それはできません」「できないことはないでしょう」。もう、けんかですよ。

中藤:今でもそうなんですか?

大西:10年くらい前の話です。実行委員会に訴えて改善するまでが大変だったんですよ。でも、そういうことをやっていくと写真も変わります。やっぱり、写真を応募する人たちの心ももっともっと開かれていかなければならない。写真って、本来は豊かなものなのに、運営やプロセス、形式に縛られてしまっているがゆえに窮屈なところに向かってしまっている。それがすごく残念。

中藤:ぼくはそういうことはまったく知らなくて、びっくりですね。

大西:すごく進歩的なところもあるし、個々のコンテストでいろいろと違います。県展を含めて地方のコンテストは少しずつ変化してきました。かつては前年度の上位入選作をなぞった応募作が多かったんですよ。要するに、応募者が「予習」をして、傾向と対策を考えやすいのが地方のコンテストだった。それとはぜんぜん傾向の違う写真をぽんと選んだときの衝撃って、すごいんですよ。みんな「へえっ!」ってなっちゃう。
 例えば、前年度の最優秀賞が平野のきれいな田んぼの向こうに沈む夕日の風景で、今年度は農村のスナップショットを選んだらびっくりしちゃうんです。「スナップ写真がいちばんになった!」。そういう時代もありましたね。でも、いまは「前年の入賞作品をなぞっているだけの写真じゃあ、だめだ」ということが少しずつ理解されてきた。「コンテストに慣れた人」「傾向と対策を考えてきた人」とは違った人が応募してくるようになってきた。だからこそ、南日本写真展の審査を中藤さんにお願いしたんです。

中藤:審査員が変わると審査の基準や入賞作ががらっと変わる。そうでないと審査員が変わる意味がないですよ。やはり、型をぶっ壊さなければならない。

大西:壊すというと、ちょっと暴力的な言葉かもしれませんけれど、応募者にも自分の型を壊したいと思いながらもがいているような人がいると思うんです。葛藤しながら伸びてくる人。そういうところまで見えてきてしまうと、ぼくらも審査に力が入るんですね。ひたむきにチャレンジを続けてほしいと思います。

※『アサヒカメラ』2019年10月号より抜粋