大西:でも、ぼくらは単なる好みで応募作を選んでいるように思われているふしもある。「大西だったら、やっぱり下町だろう」みたいな。中藤さんだったら「繁華街で、ストリートを疾走しているような作品がいいだろう」とか。

中藤:ぼくはストリートスナップを撮っているから、街のスナップ写真に対しては厳しいかもしれません。「こんなのは簡単に撮れるからいいや」と、落としてしまうことがある。

大西:ぼくも、編集部の人が集まって珍しがって見ている街の写真を「こんな光景はふつうでしょう」「どこどこの街角をちょっと曲がって路地に入ればありますよ」、みたいな。みなさんは傾向と対策を一生懸命考えて、ぼくが飛びつきそうな街角をあえて選び応募する。でもこちらはわかっているだけに、空振りすることもあると思う。

中藤:いい写真があれば選びますよね。こちらの基準を軽々と覆す、裏切るような写真を応募してほしいですね。

大西:いわゆる「わが道を行く人」の作品にはいろいろなものを超越したものがあって、それはそれで認めたくなりますね。

中藤:そうなんですよ。地味でも派手でも、インパクトがあっても、なくても、「わが道」を自分の中に持っていて、それが鳴り響いている人をぼくは評価したい。

大西:だから、写真、イコール、コンテストじゃないんですよ。何のために撮るのか、ということです。長年、ひとりで淡々と同じモデルさんのヌードを撮っていたり、いろいろな人がいるわけです。これこそが人生だ、みたいな。

中藤:モノクロプリント部門にこけしを撮って応募してくる橘さち子さんという人がいるんです。あの作品はとても地味で、インパクトがないし、いわゆる入選をねらっていくような写真ではないです。でも、橘さんのような作品も評価したい。派手に視覚的に押してくる写真も評価するんですけれど。

大西:人知れずこつこつとつくっている、という感じはわかりますね。こけしを愛でている。それが楽しくて仕方なくて、ぞくぞくするんですよ。いろいろな撮り方をしながら、「今度、これはどうかな」と試している感じがする。組写真でも自然な暮らしぶりをふつうに撮っている写真を選んだりもするわけですよ。例えば、家の中で子どもを撮った写真で、記念写真みたいなものが「かえって、これだからいいんだ」と、見えてくる場合もありますし。それは写真のうまさや表現力じゃなくて、淡々とわれわれに生き方や暮らしぶりを見せてくれる。
 それって、写真の醍醐味でね。それを丁寧に語ってくれれば、組写真として成立するわけですよ。ストーリーがあって、ドラマチックで、どんどん写真の中に引き込まれていく。というか、引き込まれたくなるんです。写真の中に引き込まれていく、というのは写真の理想の姿ですよ。

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「主催者が落とした作品の中に『宝』がある」(中藤)