“悔しい思い”の小川監督が退任、ヤクルトは「高津新体制」に何を求めるか【燕軍戦記】 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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“悔しい思い”の小川監督が退任、ヤクルトは「高津新体制」に何を求めるか【燕軍戦記】

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菊田康彦dot.
ヤクルトの高津新監督(左)と今季までチームを指揮した小川監督(右) (c)朝日新聞社

ヤクルトの高津新監督(左)と今季までチームを指揮した小川監督(右) (c)朝日新聞社

「山田(哲人)が活躍し始めたのとか、村上(宗隆)がこうやって打ったっていうのは良かったなと思います。村上もこれだけ成績を残してくれたんでね、逆にありがたかったです」

 小川監督がかろうじて「良い思い出」として挙げたのが、この2人のブレイクだった。前回のラストイヤーだった2014年は、山田がプロ4年目にしてシーズン193安打を放ち、日本人右打者としての新記録を樹立。打率.324、29本塁打をマークし、スター誕生を予感させた。そして今年は開幕から起用を続けた高卒2年目、19歳の村上がいずれも10代の選手としては史上最多となる36本塁打、96打点の好成績を残した。

 前回、監督を退任した翌年の2015年は山田が初のトリプルスリーを達成するなど、チームは真中満新監督の下で14年ぶりのセ・リーグ優勝を果たした。その山田のように来シーズンはさらに大きく成長することが、小川監督には「感謝の気持ちしかない」という村上にとって、何よりの恩返しになるはずだ。

 小川監督のラストゲームから3日後。高津臣吾二軍監督(50歳)の新監督就任が発表され、球団事務所で記者会見が開かれた。高津新監督は、現役時代はドラフト3位で1991年にヤクルト入団。メジャーリーグでの2年間を挟んで2007年まで投げ、NPB歴代2位の通算286セーブを挙げた球団史上最高の守護神である。

 ヤクルト退団後は韓国、米マイナーリーグ、台湾と渡り歩き、日本に戻ってBCリーグの新潟アルビレックスBCで投手兼任監督を務め、12年に現役を引退。14年に一軍投手コーチとして古巣に復帰すると、さまざまな新機軸を打ち出した。

 たとえば先発投手に対しては、個々に調整しやすいように練習時間を自由化。それまで試合中にまず1度肩をつくってから出番に応じてウォームアップするのが習慣だった救援投手には、この“2度づくり”をやめさせた。メジャーリーグを含め、さまざまな環境でプレーした経験を持つ高津コーチならではの発想だった。

 2015年にはオーランド・ロマン、ローガン・オンドルセク、トニー・バーネットの外国人トリオにゲーム終盤を託す“勝利の方程式”を構築し、自らが守護神だった01年以来のリーグ制覇に寄与。そして17年から3年間は、二軍監督として前出の村上や、投手では高橋奎二、梅野雄吾といった若手の育成に尽力した。


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