このとき、菊池さんは誰の目から見ても抗がん剤をもう使うことができないくらい衰弱していました。

 緩和ケア医は手を握ったまま静かにうなずきました。菊池さんの涙とは裏腹に、病室の窓の外は雲ひとつない晴れた青空が広がっていました。

 重い足取りでホスピスから帰る途中、私も先輩医師もほとんど会話をしませんでした。菊池さんが最後に発した言葉についてずっと考えていました。

「抗がん剤を最後まで使い続けたほうがよかったのかな」

 先輩医師は独り言のようにつぶやきました。

 私と先輩医師が見えていた未来は、抗がん剤の副作用で苦しむ姿の菊池さんでした。望んでいた世界は、おだやかにホスピスで過ごす菊池さんの姿でした。菊池さんに後悔だけはさせたくありませんでした。

「もっとできたことがあっただろう」

 そんな言葉がどこからともなく聞こえてきました。

 あの日から、私は緩和ケアに興味をもち勉強を続けています。がん治療を積極的に行いながら、自分の診察にも緩和ケア的な要素もとりいれています。

 最後まで治療はあきらめずに、それでも、医者も患者さんもお互いに後悔しないように。

 がんを治療するということはしばしば、患者さんの人生の残り時間を任されることにもなります。当たり前のことですが、がんの勉強だけしていてもその患者さんの気持ちはわかりません。最善の選択とは、患者さんの価値観にそった最善でなければなりません。

 医師にとっては何十回、何百回目の病気であっても、医師とその患者さんの間でははじめての病気であることを忘れてはいけません。

 私自身が診てもらいたい医者になれるよう、自戒を込めて。

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大塚篤司

大塚篤司

大塚篤司(おおつか・あつし)/1976年生まれ。千葉県出身。医師・医学博士。2003年信州大学医学部卒業。2012年チューリッヒ大学病院客員研究員、2017年京都大学医学部特定准教授を経て2021年より近畿大学医学部皮膚科学教室主任教授。皮膚科専門医。アレルギー専門医。がん治療認定医。がん・アレルギーのわかりやすい解説をモットーとし、コラムニストとして医師・患者間の橋渡し活動を行っている。Twitterは@otsukaman

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