「まさにミスフィットとしか言いようのない謎のキャラクター。(略)バラエティ番組がオモチャにしやすいキャラかと思うので今後の展開は楽しみだ」(『音楽誌が書かないJポップ批評6』)

 ちなみにこの年、氷川は同じレコード会社の川久保由香、山本智子とのジョイントコンサートで全国を回っていた。九州の中津で見る機会があり、終了後の握手会では他のふたりよりファンが集まっていたものの、あくまで演歌という閉じられたムラでの人気に思えた。同時期に「孫」をヒットさせた大泉逸郎(あるいは、のちのジェロ)のように、うまくいって一発屋というのが、もっぱらの見方だったのだ。

 しかし、氷川は演歌界の新たなスターとなった。それは彼が数年にわたって「キワモノ」であることを大真面目に追究していったからだろう。

 今回、じつはヴィジュアル系ロックを好きだったことがクローズアップされたように、彼は高校の芸能クラブで教師に演歌をすすめられるまではポップスに傾倒していた。デビューした年にもテレビで、

「CHAGE&ASKAさんに憧れてましたね」

 と語り、鈴木あみのファンだとも公言していたものだ。

 そんな青年、しかもイケメンが股旅モノのような時代遅れの演歌をやったところに面白さがあった。当然、本人にとっては恥ずかしさもともない、本心では普通の演歌をやらせてほしかったようなのだが……。2曲目も股旅モノで、3曲目はあの「きよしのズンドコ節」と来た。これまた、時代遅れというか、小林旭やザ・ドリフターズでおなじみのコミック調歌謡曲である。

 本人はこれも恥ずかしかったようだが、この選択により、彼のキワモノ感は保たれ、ますます面白がられた。そしてようやく、5曲目の「白雲の城」で正統派の演歌をうたうことに。やがて、デビュー7年目には「一剣」で日本レコード大賞に輝き、その2年後には「紅白」で大トリを務めるわけだ。とはいえ、曲は「きよしのズンドコ節」だった。

 つまり「紅白」においても彼は「ズンドコの人」なのだ。かく言う筆者も、今年出版した『平成「一発屋」見聞録』のなかでこう書いている。

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