「球史に残るエラー」を犯した阪神選手を救ったメジャーリーガーの言葉 (3/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

「球史に残るエラー」を犯した阪神選手を救ったメジャーリーガーの言葉

このエントリーをはてなブックマークに追加
澤宮優dot.
レッドソックスで活躍したビル・バックナー(gettyimages)

レッドソックスで活躍したビル・バックナー(gettyimages)

元阪神・池田純一さんのご自宅で飾られている写真(撮影/澤宮優)

元阪神・池田純一さんのご自宅で飾られている写真(撮影/澤宮優)

 驚いたのは池田本人である。年末になるとテレビ番組、週刊誌、スポーツ新聞で、彼のエラーが何度も取り上げられたからである。その後も彼は現役を続けたが、監督の交代などでチーム方針が変わって出場機会は減り、78年に引退した。引退まであのエラーはセットになって語られた。 

 池田は球界から離れ、第二の人生に選んだのはジーンズショップの経営だった。

「せっかく大好きな野球でプロに入ったのに、あのエラーさえなかったら、素晴らしい野球人生を送れたのに、こんなに苦しむことになるなんて、と語ることもありました」
 
 そう夫人は語った。引退後も、マスコミの取材は容赦なかった。電話のたびに彼は夫人に「またあの話か。もう野球はいい。断っといてくれ」と言っていた。

■テレビで見たバックナーのエラー

 そんな失意の彼に86年の秋、転機が訪れた。

 池田はワールドシリーズを報じるニュースをテレビで見ていた。彼はバックナーが平凡なゴロをトンネルする場面を見た。このときバックナーは、気落ちするどころか堂々とマスコミに答えた。

「これが私の人生です。このエラーを自分の人生の糧にしたい」

 これを知った池田は涙を流しながら、夫人に何度も話しかけた。

「彼は、僕と全く生き方が違うね。僕は、マスコミのせいや、監督がかばわなかったせいやと言ったけど、バックナーは違う。自分もこう生きたかったんや」

 そこから池田の生き方が変わっていった。自分のエラーを受け入れ、積極的に生きるようになった。そして彼は2001年9月にアイダホ州ボイジーにいるバックナーの自宅を訪れた。

 バックナーは90年限りで引退し、池田が訪ねたときは自動車会社を経営していた。彼は池田の話に静かに耳を傾け、ときおり頷くと最後に諭すように語った。

「イケダ、野球も人生もエラーはつきものだよ。大事なことはその後どう生きるかだよ」

 以後、池田は野球に対する重い口をようやく開き、講演では進んで自らの失敗の経験を話すようになった。その話は挫折した人、苦境にある人に大きな勇気を与えた。池田はよく語っていた。


トップにもどる dot.オリジナル記事一覧

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい