恵まれない人々、弱い者を助ける。それは、エリート層の義務である。これはヨーロッパ貴族の考え方として有名な「Noblesse oblige」(ノブレス・オブリージュ)に近いものがある。権力があり上に立つ者は、その対価として果たすべき高貴な義務がある、などと解釈される。

 大学で多くを学び、やがて社会で指導的な立場になったとき、弱い者に目を向けて助けなさい。東京大の上野氏、京都精華大のサコ学長、国際基督教大の日比谷学長、恵泉女学園大の大日向学長は、みな、そう伝えたかったのだろう。

 大学の入学式の学長式辞、来賓祝辞ではさまざまなことが語られる。その内容はおおまかに言えば次の三つに分かれる。(1)自校の歴史や伝統、教育や研究内容、最近の動きを伝える。どうしても自画自賛的なところが多くなる。(2)自らの教育観を示す。大学に入ったらどのような勉強をしたらいいか、どのような生活を送ったらいいかを諭す。(3)社会状況、世相について独自の見解を示す。または、古典、話題の人物を取り上げて、自分の主張を訴える。

 学長式辞、来賓祝辞は、あまりにも当たり前すぎて新入生にとって眠くなるような内容もあるかもしれない。そんななかでインパクトがある式辞があったので紹介しよう。

 関東学院大の規矩大義(きく・ひろよし)学長のメッセージである。
             
「『本学は1年生からキャリア教育を推進しています』などといった宣伝文句に踊らされたり、騙されてはいけません。それは『準備』であって、『学び』ではありません。仮に特定の資格と直結している学部であったとしても、大学生活を就職という出口だけを意識した準備の4年間にしてよいはずがないのです。

 実力とは決して、少しばかり計算技術に長けているとか、プレゼンテーション能力が優れているとか、そうしたテクニックを指しているのではありません。もちろん、それらは社会に出てから、皆さんの助けになるかもしれません。しかし、それよりも、大学生としての教養、見識、知性を一歩ずつ、着実に身につけ、磨いていくこと、これに勝るものはないのです。それは『この本を読んだから』とか『この講義を受けたから』といったように、一朝一夕に身につくというものではなく、むしろ、物事に対して真剣に向き合い、知識や技術を修得しようとする継続的な行動を通して、初めて得られるものです。具体的に『どの知識』などと指し示せるものではありません」(4月2日)

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