このトンデモエピソードは真偽不明ともいわれるが、調べてみたら、状況的に該当する試合があった。79年10月8日の広島戦(広島)である。

 この時点で3位の阪神は4位・中日と1ゲーム差。この日首位・広島との一戦に敗れれば、Bクラス転落の危機だった。しかも、46本塁打の主砲・掛布雅之が鼻骨骨折のアクシデントで前日から欠場中とあって、その分投手陣が頑張るしかない。

 そんな大事な一戦を任された江本だったが、0対0の2回、四球と道原博幸の左越え二塁打で1死二、三塁のピンチを招く。投手の山根和夫を三振に打ち取り、2死までこぎつけたものの、次打者は1番・高橋。一塁が空いているので、当然敬遠のケースだ。

 しかし、高橋には四球ではなく、死球が記録されている。おそらく、この場面がそうだろう。

 それでは、このあと、試合はどうなったか?江本は次打者・山崎隆造に中前2点タイムリーを許し、せっかくの満塁策も裏目に。そして、4回3失点で代打を送られて無念の降板……。これも敬遠死球の報いか?

 ちなみに江本は、南海時代の74年6月26日の阪急戦(西宮)で、長池徳二の連続試合打点の日本記録を「11」でストップしているが、長池は71年に32試合連続安打を達成していることから、「江本は高橋と長池の連続安打記録を止めた」と混同する人も多い(長池の連続試合安打を止めたのは西鉄・河原明)。

 延長10回、一打サヨナラのピンチに、江本が次打者を敬遠し、よりによって、満塁で王貞治に勝負を挑むという“一世一代の大博打”を演じたのが、80年4月19日の巨人戦(後楽園)。

 2対2で迎えた10回裏、江本は1死から代打・柴田勲に中前安打を許してしまう。

 柴田の代走・松本匡史は、次打者・ホワイトの2球目に二盗を成功させる。ホワイト四球のあと、高田繁の投ゴロの間に2死二、三塁とし、この日2安打と当たっている3番・中畑清が打席に。

 だが、中畑を打ち取れば、試合終了(時間切れ引き分け)にもかかわらず、江本の4球はいずれも明らかなボール球。捕手・若菜嘉晴は「クサいコースを突こうと相談し合った」と言うが、実質敬遠である。5万の大観衆から悲鳴のような大歓声が上がる。なぜなら、次打者は4番・王。一塁が空いているとはいえ、中畑を歩かせて一打サヨナラの2死満塁で“世界の王”と勝負するというまさかの展開は、その場にいた誰をも興奮のるつぼへとかき立てた。打席に入る王も顔を紅潮させている。

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王貞治との対戦の結果は?