まず、厚労省に限らず、統計行政については、役所の幹部は誰も関心を持っていない。統計部門は日陰のポストなので、そこに異動してきた部長クラスは、一日も早くそこから出たいと考えている。もちろん、そこで成果を上げることなど不可能だから、とにかく大過なく過ごすことしか考えない。

 一方、現場の人たちは、過去から続けていることを変更すると様々な「手間」がかかるので、できればそんなことはやりたくないと考える。統計の調査方法を変えるということは、過去との整合性についての説明を求められるし、その実施部隊である都道府県との調整も必要だ。システム変更も必要で、予算の積算も、都道府県の意見を聞きながらやり直す必要がある。しかし、予算については、大臣官房などの理解が得られる可能性は非常に低く、増額などとなれば、「馬鹿か」と一蹴されるのがオチだ。増額を伴わなくても細かい積算を一つずつ詰められ、その結果、長年積み重ねてきたいい加減な予算の使用方法がバレてしまう可能性がある。それを辻褄を合わせながら説明するのは非常に難しい。

 上司の部長が体を張って頑張ってくれるなら良いが、多くの場合、部長は素人だったり、わかっている人でも腰かけ意識の人が大半だから、とても戦えないと諦めてしまうのだ。15年の有識者会議での議論でも、問題点を統計の専門家は指摘していたにもかかわらず、都道府県代表の委員などは、変更に後ろ向きな態度を示していて、変更なしでも良いかという雰囲気になっていたようだ。おそらく担当部長は、「変えた方がいいけど、反対も強そうだし、現場も嫌がっているから、仕方ないかな」という考えに傾いていたのではないだろうか。

 一方、その後、政府全体の統計に関する最高の諮問機関である総務省の統計委員会で、毎勤統計について審議されることがわかっていたというのも重要な要素だ。統計委員会ともなれば、統計の専門家がまじめな議論をしてくる。面倒だから変えませんというのに等しい厚労省の現場の議論は通るはずがないことを認識していた部長は、「入れ替え方式変更せず」という決め打ちの結論を書くのはまずいと思っていたはずだ。そうした情勢分析は幹部クラスの官僚なら誰でもできる。何とか、結論を出さずに先延ばしして、統計委の議論に合わせて最終判断ができないかと考えたのは極めて自然なのだ。

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そこに降って湧いたのが、官邸からの「介入」