2001年6月8日、大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校に男が乱入し、刃物で次々と切りつけ、児童8名が殺害され、教師含む15人が重軽傷を負った児童連続殺傷事件。
小学校を襲撃するという前代未聞の衝撃的な事件だった。
犯人の宅間守(当時37)元死刑囚はその場で取り押さえられ、逮捕。2004年9月14日に死刑執行された。40歳だった。
宅間元死刑囚が注目を集めたのは、その残虐な犯行だけではなかった。逮捕後、精神障害のふりをして罪を逃れようとしたり、裁判がはじまり発言できるようになると、殺害された児童の保護者に罵声を浴びせるなど、その言動はさらに大きな批判を浴びた。
宅間元死刑囚は事件前、公務員として小学校の事務職で勤務していた際、同僚のお茶に薬物を混ぜて逮捕されたことがあった。だが、精神的な疾患があると責任能力がないとされた。
附属池田小学校殺傷事件で逮捕された時も、精神疾患があるような言動を捜査員の前で繰り返していたという。
「事件現場を附属池田小ではなく、池田駅といったり、壁に頭を打ち付けたり、異常な行動を見せていた。だが、宅間元死刑囚を詰めていくと、犯行を認めました」(当時の捜査員)
それは宅間元死刑囚の2001年6月11日の供述調書に詳しい。
<私のやった事件のことを認めて、話をしたとたん、なぜかわかりませんが、急に涙が流れ出てきて止まりませんでした。この涙は事件を後悔してのために出てきたものではありません。精神病を振る舞っているようにしていたことを、最後まで押し通すことができなかったという悔しさから出た、悔し涙であったのです>
<嘘をつき通せないと諦めて、精神病を装うことをやめたのです>
そして、なぜ小さな子供がいる小学校を狙ったのか、動機について宅間元死刑囚は、供述調書でこう語っていた。
<大量に人を殺すような事件を起こせば(前妻が)私と知り合ったことを後悔するだろう>
<私の苦しい思いを、できるだけ多くの人にわからせてやろう>
<死刑覚悟で小学生を多数、殺すしかない>
そして、犯行直前に自宅近くの刃物店で出刃包丁を購入。車で附属池田小に向かい、犯行に及んだ。その時の模様を宅間元死刑囚は供述調書でこうも語っている。
<捕まえられるまで刺し続けるつもりでした。できるだけ、多くの人を刺そうと考えていた>
<目についた子供を手あたり次第、刺した>