8回までパーフェクトに抑えていた投手を、大記録のかかった最終回に交代。そんな“非情采配”が賛否両論を巻き起こしたのが、07年の日本ハムvs中日第5戦(ナゴヤドーム)。

 日本一に3勝1敗と王手をかけた中日の先発は、「肩の違和感」を理由にCSでの登板を回避した山井大介。

 トレードマークのゴーグルを着けた山井は、「自分で落としても(第6戦以降)調子の良い川上(憲伸)さんや中田(賢一)が残っている」と、初回から飛ばした。前半は鋭く曲がり落ちるスライダーが冴えわたり、1点リードの後半からは「一発を警戒して」丹念に低めを突く。8回を終わって日本ハムはまだ1人の走者も出していなかった。

 そして9回表、スタンドを埋め尽くした中日ファンから「山井!山井!」の大合唱がわき起こる。完全試合まであと3人だった。

 ところが、次の瞬間、「ピッチャー、山井に代わりまして岩瀬(仁紀)!」のアナウンスが……。スタンドのあちこちから「エーッ!?」「嘘―っ!」と悲鳴にも似たどよめきが起こった。気持ちを切り替えての“岩瀬コール”も、どこかぎこちなさが感じられた。

 その岩瀬にとっても「人生で最大のプレッシャー」だったが、金子誠を三振、高橋信二を左飛、小谷野栄一をニゴロに打ち取り、日本シリーズ史上初の完全試合を継投で達成するという珍事でゲームセット。この瞬間、中日の53年ぶり日本一も決定した。

 試合後、「なぜ山井を代えたか?」という質問に、落合監督は「幸か不幸か、山井は一杯一杯だった。交代させる分には抵抗はなかった。指にマメもできていた」と説明したが、中日OBの星野仙一氏、楽天・野村克也監督は続投を主張し、ソフトバンク・王貞治監督、元西武監督・森祇晶氏は落合采配を支持と、意見は真っ二つに割れた。

 当の山井は「個人記録はどうでもいい。頑張ってきた岩瀬さんに投げてほしいと思った」と、指揮官と先輩の顔を立てたが、その後出演したテレビ番組の中で「まあ、やっぱり投げたいという気持ちはありましたね」と本音も……。13年6月28日のDeNA戦(横浜)でノーヒットノーランを達成し、6年越しのリベンジをはたした。

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西岡剛の走塁で悪夢の“終戦”