もちろん、病気などで働けない人は、働かなくても年金をもらうことは認められるだろうが、何となく後ろめたい気持ちにならざるを得ない社会の雰囲気になって行くような気がする。他の人たちは、働いて年金ももらわず、保険料まで納めているのに、自分は年金のお世話になっているという負い目を感じる社会になるのだ。こうなると、年金は、もはや失業保険や生活保護と同じような性格になってくる。働きたいが仕事が無いときに限り年金というのであれば、年金の失業保険化だし、身体を壊して働けないから年金ということであれば、年金の生活保護化と言ってもよいだろう。運が悪くてかわいそうな人のための制度というイメージに変わってしまうのだ。

■「老後をのんびり楽しく」という庶民の夢は消えるのか

 つい、この前までは、60歳以降の雇用を人生の余禄(よろく)ととらえるシニアも多かった。しかし、これからは、せっかく活躍の場が広がっているのに機会を生かさないのはもったいないと言われ、家でのんびりしていても落ち着かない、そんな気分になる社会が、もう始まっている。

 そういう社会が本当に幸福な社会なのだろうか?と考えて、私は、バートランド・ラッセルの「怠惰への讃歌」を思い出した。

 私は、元々怠惰なのか、そもそも、何のために働くのかときかれれば、それは、楽な暮らしをするためだと答える。「働くことは社会のためだ」とか、「働くことに生きがいを感じるはずだ」と言われてもどうもしっくり来ない。こう言うと、「働く喜びがわからないなんてかわいそうだね」「働くことは、労働ではなくて、創造だよ」とか「自己実現だ」「社会貢献だ」「人間としての義務だ」とか、「単なる道楽と同じで楽しいもんだよ」などと言ってくる恵まれた? 人もいそうだ。

 しかし、私は、お金をもらって働くのではない活動の方に喜びを感じ、のんびり老後を過ごしたいと思う人たちがたくさんいる社会がおかしな社会だとは思わない。

 ただ、それは人の価値観によるから、その是非を議論しても仕方ないだろう。

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安倍総理が隠す負の側面