死んでも学校や裁判所は、苦しかった子どもの気持ちに耳を傾けてくれません。

 すぐに思い出すのは「北本いじめ自殺裁判」です(2013年東京高裁判決)。

 2005年10月、埼玉県北本市の中井佑美さん(当時12歳)が亡くなりました。両親らによると佑美さんは、小学生から中学生にかけて、悪口や無視、靴や文具を隠される、ジャンパーを鳥小屋に投げ入れられるなどのいじめを受けていました。

 佑美さんは、担任との交換日記で「いじめ」を訴えましたが、担任は同級生らと話し合いの場を設けるだけの対応に終始しました。担任が介入した後、いじめはよりひどくなり、佑美さんはトイレへ連れ込まれて「便器に顔を突っ込め」と言われるなどの事態に発展しました。

 2005年10月11日、佑美さんは「生きるのに疲れました。本当にごめんなさい」と書き残して亡くなっています。

 しかし佑美さんの死後、「いなくなってせいせいした」と話す生徒や、佑美さんの使っていた机に「see you, the end」と落書きされていた、ということがあったそうです。

 つまり佑美さんは亡くなってからもいじめを受け続けたのです。

 さらにひどい仕打ちをしたのが学校や裁判所です。

 遺族らの訴えにより、学校は佑美さんの死後、校内アンケートも行ないましたが、アンケート結果の8割を破棄。さらに佑美さんの遺書を「手紙」と呼び、内容を軽視して「いじめはなかった」と裁判で主張しました。裁判所は、こんな学校の主張を支持。「自殺につながるいじめはなかった」(東京地裁)と判決を下しています。

 裁判の結果に驚いたのが同級生のひとりです。

 同級生は「自分が証言しなかったせいで、いじめがないことにされてしまった」と思い、2012年11月29日、証人尋問を受け、証言をしました。

 同級生は「いじめはたしかにあったし、佑美ちゃんはつらかったと思うのでそのことをわかってほしい」と泣きながら裁判所で訴えました。

次のページ
報道が与える誤解「死ねば耳を傾けてくれる」