なんでうれしくなかったのかというと、そのときの私が「自分自身」ではなかったからですね。私じゃない奴がいくら成功したって、私はうれしくないんですよ。

 ゲームの「ポケットモンスター」ってあるでしょ。受験就職で戦っていたのは、私じゃなくて私のポケットモンスター(社会に適応するためにつくられた自分)だったんです。成功しても、それは私ではなく私のポケモンが成功してるだけなので、うれしくないんです。私だけでなく、ほとんどの人がそうなんです。子どもは親のポケモンだし、戦っているのは、その子自身のポケモンなんです。だからこそポケモンはあんなに人々を惹きつける。

 不登校・ひきこもりを生きる、というのはたいへんな苦悩を伴いますが、じつは私が教えている東大生も、内面の苦悩は、ほとんど同じだと感じています。前者は「自分自身じゃないもの」になろうとしてなれずに苦しみ、後者はなりきって苦しんでいる。でも「自分自身じゃないもののフリ」をすることをやめないかぎり、自分の人生は始まらないんです。

 東大生はシステムに順応して、人生を成功させちゃっているから、「自分はおかしい」と気づきにくいんです。その点、不登校やひきこもりの人は「ポケモンのまま生き続けるのは無理!」という状態ですね。だから自分自身に戻ってくる可能性が高く、それだけ健全だと思います。

――自分自身に戻れるとしても、世間はポケモンのまま生きることを求めますよね。世間に抗って自分自身になっていくのは苦しい戦いだと思います。

 抗う必要はないんですよ。ただ「こいつらはポケモンだ」という事実を認識すればいいんです。「こいつらはおかしい」と思えたらそれでいい。でも「私のほうがおかしいんだ」と思ってるうちは苦しみが続くと思います。

 どう考えてもポケモンのままで生きているほうがおかしいんです。不登校やひきこもりを生きる人はそれに拒否反応を示したわけだから、まともなんです。

次のページ
必要なのは「最低限のお金」と「友だち」