「1日いちにちをできるだけ充実させていけば、例えば一生の幸せが100分の60くらいだったものが、生きる日数が短くなったとしても、1日あたりの幸せを10分の8とか10分の9くらいにできるのではないか。死を意識するからこそ、自分の心の奥を掘り下げて、考えたり書いたりできる。最大限満足した1日を終えることを重ねていきたい」

 100分の60は10分の6だ。分母をそろえれば、1日あたりの幸せは長生きするよりも大きくなる、という理屈だ。長く生きれば幸せだけでなく、つらさや苦しみも積み重なっていく。「長生き=幸せ」とは限らないと感じている人が多いのか、何人かの知り合いから「なるほどと思った」といった感想が寄せられた。

 では、どうすれば幸せは増すのか。具体的に考えたことはなかった。しかし、毎週、自分の名前でコラムを書き、引用するのは気恥ずかしいようなコメントがSNSを通じて寄せられる。知り合いに目を転じれば、周りを犠牲にして「10分の6」程度の幸せを守るのにきゅうきゅうとしている人もいるように見えて、我が身の幸せを実感した。

 分数は10分の1、2、3……といった具合に、目盛りを意識しやすい数字だ。おかげで、外食のメニュー選びといったささいなことまで、「幸せ」の積み増しに貢献するようになる。近づく死を意識しようと心がけつつも、無自覚に過ごしていた時間。それを味わい尽くそうとするのに役立った。

 それだけの功労者のことを、知り合いに指摘されるまで忘れていたのは、解せない。記憶をたどると、テレビ出演後としかわからない時期のある情景が思い浮かぶ。

 一つは、病院で抗がん剤の点滴後、先輩記者と雑談に興じた帰り道だ。自宅に向かうタクシーが首都高速の東京・上野に差しかかったあたりで、後ろに流れていく風景を眺めながら、ふと「幸せだな」という思いがこみ上げてきた。思いはふだん以上に強く、なぜか涙がにじんだ。

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だがある日、こんな反論が胸の内から聞こえてきた…