「『再婚したらどうか』と言われたり、探りを入れられたりするのが嫌で、子どもを抱えた男性が人前に出たがらなくなることが多いんだって」

 その女性自身、夫を亡くした後、心ない言葉をいくつもぶつけられている。

 そこまで話したときになぜか、「ばかやろう」と言いたい思いが内側から突き上げてきた。ばかやろう、ばかやろう。感極まり、涙声を抑えられなくなった。

 配偶者は私の様子がふだんと異なることに気づいているだろうが、黙っている。近所のスーパーの明かりが近づいて顔を照らし出すころ、私はようやく言葉をつないだ。

「それで俺、言ったんだ。『世の中は地獄ですね』って」

 あとは何も言えなかった。その瞬間、自分の涙声で気づいたのだ。ルソーが「人には憐れみがある」と言ったのは決してきれいごとではない、と。

 私は自分自身の発病をなぜと嘆いたことも、そのこと自体によって涙をこぼしたこともない。

 それなのに今、見知らぬ男性のつらさがひとごとに思えず、こんな涙声になっているではないか。

  ◇
 一時は自らが犯罪に手を染めたこともあるルソー。人の弱さと、そこから立ち上がる力を知るせいだろうか。同じ社会契約説でも、ほかの2人よりも、人への信頼と期待がにじんでいる。

 たとえば、ホッブスは人のあり方を「持っている権利を主権者に渡して、守ってもらう」とみる。またロックも「裏切られたらひっくり返してもよい」としつつ、人は「権利を代表者に渡し、統治を任せる」と唱えた。これに対し、ルソーは「人民が集まって、本当にまじめに討論するなら、そこから正しい公共の利益が見いだされる」と考える。一人ひとりを政治に関わらせ、それを通して人を鍛え上げようとするのだ。

 彼がそう考えるに至る道のりを思うと、また涙が出そうになる。だが、涙がほおをつたわないようにと、目を閉じることはすまい。人は、そして自分とはどんな生き物なのか。目を細めつつ、表情の奥でじっと見つめる。

著者プロフィールを見る
野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

野上祐の記事一覧はこちら