「塾を始めて子どもたちへの接し方を学ぼうと、教育書を読み漁って愕然(がくぜん)としたのは、『子育てにはマニュアルがない』ことでした。本の通りにしても子どもたちは個性がバラバラ。反応が全員違います。私は途方にくれました」

 そう話すのは、学習塾を主宰し、不登校や学習障害、非行少年などを積極的に引き受けて、生徒全員の成績をアップさせた経験を持ち、科学の視点で子育てにかかわる活動を続ける、異色の科学者・篠原信先生だ。

 確かに子育ては千差万別で、マニュアルが役に立たないことも多い。長年、子どもたちの指導だけでなく、育児相談にも関わってきた篠原先生が、著書『子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法』(朝日新聞出版)で明かした子育てでもっとも重要なことを紹介する。

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 どう子どもたちを指導したらよいのかわからない中、重要なヒントを与えてくれたのは、ある料理人の物語でした。「庖丁(ほうてい)」という、包丁の名前の由来になった人物です。「荘子」という本にそれは掲載されていました。

 王様の前で牛の解体ショーを実演した庖丁。踊るかのごとく見事に分解していく様子を見て、王様は大感激。さぞかし切れ味のよい刀なのだろう、と質問したら、その答えは意外なものでした。

「切ろうとすれば刃こぼれします。私は切るのではなく、スジとスジのスキマにそっと刃を差し入れるだけです。すると身はハラリと離れます。切らないから、刃は研がなくてもますます研ぎ澄まされています」

「切ろう」とすると、実は目の前の牛ではなく「切られた牛」のイメージにとらわれて、そのイメージどおりに切ろうとします。すると目の前の牛を見ているようで見えなくなり、スジや骨に当たって刃こぼれします。

 しかし庖丁は切ろうとする前に目の前の牛を「観察」しました。観察を重ねると、スジの流れがよく見えてきます。そして「ここがスキマかな?」と思うところに刃を差し入れると、身が自然に離れる、というわけです。庖丁は観察を何より大事にした人でした。

 この話をきっかけに、私は「こう育てよう」という脳内イメージに子どもたちを押し込めるのではなく、まずは子どもたちを素直に観察することにしました。すると、「この子はこんな言葉を待っているのでは?」ということが見えてきました。「スジとスジのスキマ」です。それまで教育書で頭でっかちになっていたときと違って、かなりの確率で子どもたちの心が動くようになりました。

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