松坂大輔、盟友の田口壮だけがわかる「その心」【喜瀬雅則】 (2/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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松坂大輔、盟友の田口壮だけがわかる「その心」【喜瀬雅則】

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中日・松坂大輔 (c)朝日新聞社

中日・松坂大輔 (c)朝日新聞社

 だから五輪は「アマの最高峰」と言われてきた。当時は五輪に出たいからプロには行かないという選手もいた。

 しかし、五輪でも他競技にプロ選手の参加が認められ、野球もその流れを拒めなくなっていた。五輪で勝つという大命題のために日本の総力を結集しようと、プロの参加が検討された。

 だが、プロ側では、シーズンも佳境を迎える9月に主力選手が抜けることに、戦力面でも、営業面でも危惧を唱える声が高まっていた。アマ側の心理的な抵抗や違和感も大きかったようで、野球界全体の足並みがどうしても揃わない。妥協案として、パの6球団は代表を各1人、セはそれでも最後まで意見が集約できず、中日と広島から1人ずつ、メンバーを派遣することにとどまってしまう。最終的には、プロ8人、アマ16人のいびつなメンバー構成になってしまった。

 しかも、田口は五輪の出場権を獲得するためのアジア予選にも出場していない。自分が出れば、予選で頑張ったアマの選手が誰か出られなくなる。「そこが自分の中ですごく引っかかったんですよね」。田口が相談したのは、当時のオリックス監督・仰木彬だった。送球難に苦しむ田口をショートから外野へコンバートすることで一流のプロ野球選手へと飛躍させてくれた大恩人だ。

「行かんとアカンのですか?」

「おう、行け。マイナスは絶対にない。プラスしかないから、行ってこい」

 背中を押された。それでも、田口の心はずっと揺れ続けていたという。

「そんな大役、回ってくると思わないじゃないですか。予選も行っていないのに、いきなりメダルを取れって……。重かったですよね」

 だから、もう、とにかく必死だった。

「プロが入ったから勝てる、金メダルを取れると思われていた。でも野球って、そんなに甘くないじゃないですか」

 初めての「日の丸」。その名誉以上に、田口の双肩に重圧がのしかかった。初の国際試合。シドニーの舞台では、精神的余裕が全くなかったという。

「もう、どれだけ研究したことか。僕、シドニーではずっと、ビデオルームにこもっていましたから」

 全9試合に出場した田口は、打率.359のハイアベレージをマーク。持てる力は、すべて出し尽くした。

「2週間、ホントにきつかったです」



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