――今後の活動について具体的な話しはしましたか?

松岡:そういう甘えの根源になるグループなら、なくした方がいいと言いました。なんかつまらないオブラートに包んで言った記憶があります。解散と言えばよかったんですけど、言えない自分もいたのも確かです。あと辞表を出したときに、彼に僕は怒りました。もし、彼が、僕の立場だったら、彼は、僕が出した辞表を会社に出せるのか、と。それはずるいって言いました。

――先日の会見の時に山口さんが、できればまたTOKIOに戻りたいというようなことを仰った。それから、2、3日経って辞めさせてくれという、この心境の変化というのを、城島さんはどういう風に受け止めていらっしゃいますか?

城島:本来はああいう泣き言いわないタイプなんですよ、あいつは。どんなときも一番男気があって、TOKIOの中での屋台骨といいますか、何かあったらメンバー全員「山口くん、山口くん」って。「ちょっと体調悪いんだけど何だろうね、山口くん」「ああ、それ風邪だね」とか。あとは精神的な部分も含めて、なんでも山口くんって言ってきたメンバーです。それはデビューして23年以上、長瀬が小学生の頃からみんなそんな感じでした。

 なので、あの会見のときにああいう風に、甘えたことを言ったので、さすがに信じられない気持ちでした。絶対そんなこと言わないタイプなのにって。どういうことなのかなって思ったんですけど。自分自身のなかで、きちんと答えられる気持ち、人格としてはちゃんとタレント山口達也としてはあるんでしょうけど、自分自身のしでかした部分がそこで露呈してしまったのが、山口達也という人の、人間としての弱さが露呈した部分なのでしょう。私もリーダーとして一緒に長いこといますけども、ちょっとそういう部分は、正直、見たことなかったので。10代のころは、ちょっとした、親とケンカというような相談は受けてましたけど、まあ子供の頃ですから。さすがに大人になってそういうの見たことなかったのでびっくりしました。

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