しかし、原氏が一度はJFAから去らざるを得なかったように、霜田氏も14年9月に技術委員長に就任したものの、田嶋会長の就任により新たに西野氏が技術委員長に就任。霜田氏はナショナルチームダイレクター(NTD)という新たな役割を与えられたものの、実質的には“更迭”に等しかった。これでハリルホジッチ監督は最大の理解者、強力な後ろ盾をすべて失うこととなった。

 西野技術委員長は「ハリルホジッチ監督を招聘したのは霜田だし、自分は途中から加わったので詳しい経緯を知らない。余計な口出しはしない」と現場とは距離を置いていた。

 しかしながら、ハリルホジッチ監督の生殺与奪の権利は、西野技術委員長であり田嶋会長が握っていたため、霜田氏は16年11月で辞任を申し出る。今後はハリルホジッチ監督と西野技術委員長、もしくは田嶋会長と良好な関係を築いて欲しいとの親心からでもあった。

 それで両者の関係が良好になったのかと言えば、答えはノーだった。西野技術委員長はサッカー一筋の“孤高な”タイプであり、“監督”である。副技術委員長の山本昌邦氏のようにコーチとして気配りのできるタイプではない。必然的に、ハリルホジッチ監督の孤立が深まったことは想像に難くない。

 それを象徴していると感じたのが、3月のベルギー遠征でのマリ戦だった。

 酒井宏樹がケガで代表を辞退し、酒井高徳と遠藤航もケガ持ちのため、ハリルホジッチ監督は宇賀神友弥を右サイドバックとしてスタメン起用した。所属クラブの浦和では、堀孝史監督が4バックを採用したことで左サイドバックでの出場が増えたものの、本来はサイドアタッカーである。宇賀神の胸中には、代表デビュー戦でその慣れない役割をこなせるのかという不安もあったはずだ。

 ハリルホジッチ監督は対戦相手を綿密に分析し、それに併せて日本選手を起用する。しかし、起用する選手のメンタリティまで思いは及ばない。あくまで戦力の1コマとしてしか見ていない。霜田氏がスタッフにいたら、彼のスタメン起用をハリルホジッチ監督にやめるよう進言したことだろう。実際、そうしたことはこれまでにも何回かあった。だが、ハリルホジッチ監督が孤立していた直近の体制下では、そういったことは望むべくもなかった。

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田嶋会長の弁明は…