もちろん、ニールに刺激されてということだが、53年型ゴールドトップ再生産モデルにビグスビーを装着させた筆者の愛器。まだ発展過程で、近々、黒く塗ってしまおうかと真剣に考えている(撮影/大友博)
もちろん、ニールに刺激されてということだが、53年型ゴールドトップ再生産モデルにビグスビーを装着させた筆者の愛器。まだ発展過程で、近々、黒く塗ってしまおうかと真剣に考えている(撮影/大友博)
大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など
大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など

 ロックの殿堂入りもしているニール・ヤング。日本でも人気のミュージシャンだが、来日初ライブでは後に語り継がれることになる名曲を披露した。音楽ライターの大友博さんが語る。

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 1976年の3月10日、つまり42年前のちょうど今ごろ、日本武道館で観たコンサートを僕は今も忘れられずにいる。

 もちろん、毎度のことながらチケットなどの証拠が残っているわけではなく、メモのようなものもまったく取っていないので、その細部をではなく、あくまでもそこで味わった空気感のようなものを、ということだ。

 以来まさに数え切れないほどコンサートを観てきたはずだが、その日、武道館で耳にした音と目にした光景は、間違いなく、もっとも強い印象を心に刻まれたものだった。

 それは、ニール・ヤングの初来日公演。1969年以降の活動に大きく関わってきたバンド、クレイジー・ホースとともに日本の土を踏んだ彼は、愛知県体育館、大阪フェスティバルホール、福岡・九電体育館と3月初旬の日本各地を回り、10日と11日、武道館のステージに立っている。すでにこのコラムで何度か書いてきたとおり、前年12月にはクロスビー&ナッシュ、年が明けるとすぐドゥービー・ブラザーズ、2月にはイーグルスが初来日をはたし、現在60歳前後の西海岸系ロック・ファンを喜ばせていたのだが(経済的にはかなり困らせてもいた)、その「奇跡の4カ月」のいわば真打ちがニール・ヤング&クレイジー・ホースだったのだ。このとき彼は、30歳と4カ月。

 アルバムの流れと重ねると、前年75年秋発表の『ZUMA』と、77年初夏発表の『アメリカン・スターズ・アンド・バーズ』のちょうど中間ということになる。

 この年、76年の前半、ニールはスティーヴン・スティルスとアルバム『ロング・メイ・ユー・ラン』を録音し、6月下旬からは全米ツアーを行なっているのだが、約1カ月で決裂。移動中、ドライヴァーや仲間たちに、突然、行き先の変更を告げたといういかにもニールらしい逸話が自著『ウェイジング・ヘヴィ・ピース』などで紹介されている。

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大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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