ニール・ヤングが日本人に贈ったロック界永遠の名曲 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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ニール・ヤングが日本人に贈ったロック界永遠の名曲

連載「六九亭日乗」

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六九亭日乗dot.#大友博
もちろん、ニールに刺激されてということだが、53年型ゴールドトップ再生産モデルにビグスビーを装着させた筆者の愛器。まだ発展過程で、近々、黒く塗ってしまおうかと真剣に考えている(撮影/大友博)

もちろん、ニールに刺激されてということだが、53年型ゴールドトップ再生産モデルにビグスビーを装着させた筆者の愛器。まだ発展過程で、近々、黒く塗ってしまおうかと真剣に考えている(撮影/大友博)

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など

 カナダで過ごした少年時代に書いた曲をベースにした「ドント・クライ・ノー・ティアーズ」、ジャム系バンドにしばしばカヴァーされてきた長尺の「コルテス・ザ・キラー」などを収めた『ZUMA』は、ニール・ヤングとクレイジー・ホースの第二章の幕開けを告げる作品でもあった。

 ソロ初期の名曲「カウガール・イン・ザ・サンド」「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」「シナモン・ガール」などをニールとつくり上げたクレイジー・ホースの原点は、ダニー&ザ・メモリーズという白人ドゥーワップ・グループだった。当時の映像をYouTubeでも確認できるはずだが、細身のスーツに短髪だった彼らも60年代半ばの変革に刺激されて髪を伸ばし、そして、楽器を手にするようになった。

 ちょうどそのころローレルキャニオンかトパンガキャニオンあたりで彼らと出会ったニールは、なぜか意気投合。周囲からの「なぜあんな下手な連中と?」という声も意に介さず、短期間でアルバム『エヴリバディ・ノウズ・ディス・イズ・ノーホエア』を仕上げてしまう。なにか、言葉では表現できないようなインスピレーションを感じとったのだろう。ネイティヴ・アメリカンの偉大な指導者からヒントを得たものと思われるバンド名を発案したのも、ニールだった。

 しかし、その中心人物で、ギタリスト/ソングライターでもあったダニー・ホイットゥンが72年11月に急逝。衝撃を受けたニールは、深い心の傷を「トゥナイツ・ザ・ナイト」などに歌い込んでいるが、いつまでも、そのままでいたわけではない。75年にはダニーの後任にフランク“ポンチョ”サンペドロを迎え、新生クレイジー・ホースとして『ZUMA』のレコーディングに臨んだのだった。つまり76年の初来日公演は、以来ずっと、実直な印象の力強いリズム・ギターでニールを支えてきたポンチョのお披露目でもあったのだ。

 武道館でのコンサート、前半は「テル・ミー・ホワイ」「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」「ハート・オブ・ゴールド/孤独の旅路」などを中心にしたアコースティック・ソロ。スタジオ録音テイクの構成や尺などにとらわれることなく、自由に、柔軟に自身の作品と向きあう姿勢には、素直に感動した。演奏の内容とは関係ないが(いや、大いに関係あるのかも)、何本かのハープ(10ホールのハーモニカ)がグラスを満たした水に浸してあり、キーにあわせてそのうちのどれかを手に取ると、パッパッと水を振りきってから吹きはじめるその姿に憧れてしまったりもした。文句なしに、カッコよかったのだ。あれ、水ではなく、ウォッカかジンだったという説もあるが、さて…。


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