■盛田幸妃

 打者の胸元をえぐるシュートを武器に、大魔神・佐々木主浩と「ダブルストッパー」と並び称された盛田が病に倒れたのは、近鉄移籍後の98年だった。そのシーズンは開幕から絶好調だったが、5月頃から体に違和感を覚え、その後、痙攣、麻痺と症状が酷くなって登録抹消。検査の結果は脳腫瘍。即入院し、腫瘍摘出手術を受けた。

 当初、医師から「野球ができる保証はない」と通告されていたというが、そこから懸命のリハビリ、そして驚異的な回復力を見せて、翌99年8月に実戦復帰。01年には、6月13日に1082日ぶりの勝利を挙げるなど、計34試合に登板して近鉄の12年ぶりのリーグ優勝に貢献した。02年に現役引退。その後、脳腫瘍の再発、さらに転移に苦しみ、15年10月に45歳の若さでこの世を去ったが、「奇跡のリリーバー」として、今でも多くのファンの脳裏には“勇姿”が焼き付いている。

■館山昌平

 日大藤沢高時代に横浜高の松坂大輔と何度も投げ合った館山は、日大を経て2003年にプロ入り。08年からは5年連続2ケタ勝利を挙げて、リーグを代表する先発右腕としての評価を不動のものにした。しかし、13年にシーズン2度目の登板で右肘に違和感を覚えて降板すると、右肘じん帯断裂で全治1年の診断を受けた。

 その後、トミー・ジョン手術を受けたが、復帰へ向けて調整中だった14年4月に再び右肘の痛みを訴え、再手術して長期離脱。それ以前にも血行障害などで幾度となく右肘、右肩などにメスを入れて肉体はボロボロの状態だったが、決して諦めることなく、2015年の6月28日に復帰登板を果たすと、7月11日に1019日ぶりの白星。同年11試合に先発して6勝を挙げ、ヤクルト14年ぶりのリーグ優勝に貢献。カムバック賞も受賞した。