不遇の時代を乗り越えて… スマイルジャパンは「第二のなでしこ」になれるか? (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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不遇の時代を乗り越えて… スマイルジャパンは「第二のなでしこ」になれるか?

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沢田聡子dot.

スマイルジャパンの守護神・藤本那菜(写真・Getty images)

スマイルジャパンの守護神・藤本那菜(写真・Getty images)

 アイスホッケー女子日本代表が初めて出場した五輪は、1998年長野大会。開催国枠での出場だった。その後、自力での出場は三大会連続でわずかの差に泣く結果で叶わず、2014年ソチ五輪でようやく二度目の出場を果たす。そして三度目の出場となる平昌五輪に、日本はメダル獲得を目標に掲げて臨む。

 チームの主力、久保英恵は15歳の時に長野五輪代表の最終選考まで残ったもののメンバーには入れず、観客として会場で観戦している。代表チームが「スマイルジャパン」の愛称で呼ばれるようになったソチ五輪ではエースとして戦い、そして35歳の今、自身二度目の五輪となる平昌大会に臨もうとしている。ソチ五輪出場決定後、太陽生命に入社することができた久保だが、それ以前は拠点とするリンクでアルバイトとして働いていた。女子アイスホッケー不遇の時代を知る久保は、勤務先にアイスホッケー教室の主催を提案し、普及のため各地に赴いている。

「アイスホッケーというものをもっともっと知ってもらえれば」と久保は言う。「いまだに『アイスホッケー』と言っても、ぴんとこない人もいるので」。顔を見てアイスホッケーの選手だとすぐに分かってもらえるくらいの認知度を久保は求めている。「イメージ的にはなでしこジャパンのみなさんくらいに知られたいか」と問われた久保は「そうですね。はい」と頷いた。

 一度引退した久保を再び競技に向かわせた要因の一つには、2011年サッカー女子ワールドカップで優勝したなでしこジャパンのエース、澤穂希さんの勇姿があったという。「あとはやっぱり、結果を残すだけですね」と口にした久保は、五輪で勝つことが最大の普及活動であることを知り抜いている。

 平昌五輪での日本の表彰台への道は、予選ラウンド(世界ランキング上位4カ国で構成するグループAと下位4カ国で構成するグループBに分かれて行う。日本はグループBに所属)をグループ2位以内で通過して決勝トーナメントの準々決勝に進出することから始まる。準々決勝では、グループAで3位か4位になったチームと対戦する。そこで勝ち上がり準決勝に残ることが、メダル獲得の最低条件だ(準決勝で勝ち決勝に進出すれば金メダルか銀メダル。準決勝敗退なら3位決定戦で勝てば銅メダル)。



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