病床でも、「動詞」の世界を生きる がんと闘う記者 (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

病床でも、「動詞」の世界を生きる がんと闘う記者

連載「がんと闘う記者」

このエントリーをはてなブックマークに追加

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

  ◇
 連載のできばえには自信があった。知り合いからの評判も上々だった。

 冷や水を浴びせられたのは、投開票を終えてからだ。連載を担当した一人の記者が漏らした。

「実は、投票に行かなかったんですよ」

 日々の原稿や選挙報道に関わる細かな作業で疲れ果てていた。期日前投票をせずに迎えた投開票日は起きられず、投票に行かなかったのだという。一票の価値を説いた当事者が投票していなかった。大きくいえば読者への背信だが、「あ、そう」と応じるだけで怒る気にはなれなかった。

 思えば、動詞を軸にすると決めたのも、取材後記の原案を書いたのも自分。その言葉は身内にも届いていなかった。空回りした敗北感が残った。

  ◇
 病気で福島を離れたあと、参院選で一票を投じることへの思いをコラムで書いた。福島での経験があるだけに、読んだ方が「投票に行くことにした」とツイッターでつぶやいているのを見たときはうれしかった。取材のために動くことができなくなってから書いたコラムが人を動かした。そのことに皮肉も感じたが、光も見えた。

 見る。考える。書く。

 そうして今も、自分は「動詞」の世界を生きている。


トップにもどる dot.オリジナル記事一覧

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

関連記事関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
あわせて読みたい あわせて読みたい