さらにSNSの利用方法は、一方的な情報発信にとどまらなかった。Twitter上で会話をする光景も多く見られたし、市民の自発的な動きも積極的に拡散することもあった。また演説会の参加者が自分で撮った写真や動画を、「#立憲カメラ」というハッシュタグでアップロードするように呼びかけるなど、市民の側からの情報発信も後押ししていた。

 こういった取り組みは、SNSを超えた勢いにつながった。街頭演説会には、毎回多くの人が参加し、その様子はメディアを通じて、さらに広い層に届けられた。しかも伝えられる演説会の様子は、安倍自民党総裁の、ものものしい警備に囲まれ、聴衆と離れた街宣車の上から行われる演説とは一線を画していた。

 選挙ボランティアの促進にもSNSが貢献していた。初めて候補者の事務所に足を運んでボランティアをした人、初めて家の前に政党のポスターを貼った人、そういう人が多く見られた。また立憲民主党への寄付も、短期間で8,500万円にまで膨れ上がった。このような様々な要素が連鎖的に作用し合うことで、「風」は作り出されていたと言える。

 さらに言えば、55議席を獲得するまでにいたったのは、安保法制以来の「市民と野党の共闘」の下積みがあってのことだ。共産党は「見返りは民主主義」だとして、異例とも言えるスピードで67選挙区の候補者を取り下げた。取り下げを行えば、選挙区内での選挙運動は著しく制限され、自らの議席数に大きな影響が出ることは目に見えている。それでも「市民と野党の共闘」を重んじるという踏み込んだ決断だった。各地の市民グループも、地域事情に合わせて、迅速に最適な戦い方を作り出していた。目まぐるしく変わる政治状況の中でも、多くの選挙区で協力の枠組みが作れたのは、これまでの「共闘」の経験があったからだった。「大躍進」と呼べる結果の背景には、これまでの市民運動の積み重ねがあった。

 このようにしてみていくと、立憲民主党の勢いは、一過性で実体がないものとは思えない。むしろ政党として市民を受け入れる体制はこれからもっと整備されていくはずで、今後さらに多くの市民を巻き込むものになっていく可能性が開かれている。

 多くの市民の参加は、政党の足場となり、ブレない軸をつくりあげることになる。「ボトムアップ」の政党である以上、政治家や党のスタッフは自分たちが誰を代表しなければならないのか、常に自覚的であることを求められる。仮に政治家が信念を曲げるようなことがあっても、その時は下からの突き上げによって軌道修正をせざるをえなくなるはずだ。

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