「難治がん」と闘う新聞記者が、日々からコラムを削り出すのに支えにしていること (2/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「難治がん」と闘う新聞記者が、日々からコラムを削り出すのに支えにしていること

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

 手術後の様子を見に来た主治医だった。こちらの目礼に、困ったように眉をひそめると、視線をそらし、背中を向けた。無言。手術前に「心配するな」とむやみに大声を上げ、肩をたたいて励ましてきたのとはまるで別人だった。

 しゃべらない相手からも真実を探ろうとする。記者とは、実に因果な商売だと思う。医師の姿におのずと悟るところがあった。数日後に手術結果の正式な説明があり、すい臓がんは切除できなかったことを告げられた。

 切除できなければ1年後の生存率は10パーセントというデータがある。このところ改善しつつあるとはいえ、ほかのがんよりも格段に厳しい「難治がん」の一つであることに変わりはない。

 このデータのような状態だと理解すればいいか。主治医は問いかけにゆっくりうなずき、「男、40代。やりたいこともあるだろう」と唐突に言った。最後にやりたいことをやれ。そう聞こえた。

■「通常ないことが体で起きているかも」と医師に言われて

 目安だった1年は過ぎた。再び桜を眺め、夏の暑さを感じることもできた。秋風も吹き始めた。がんは大きくなっているのか、抗がん剤で小さくなっているのか。画像を見ても正常な細胞との境目がはっきりしないためわからないのだと、医師は言う。


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