たけし、タモリの2番手だったさんまがバラエティー第一人者になったワケ

連載「道理で笑える」

道理で笑える ラリー遠田

ラリー遠田

2017/07/12 11:30

共演者と掛け合う明石家さんま (c)朝日新聞社
共演者と掛け合う明石家さんま (c)朝日新聞社

『日経エンタテインメント!』2017年7月号(日経BP社)では毎年恒例の「好きな芸人・嫌いな芸人ランキング」が発表されていた。「好きな芸人」1位に輝いたのは明石家さんま。この調査が始まって以来、14回連続で1位という驚異的な記録を叩き出している。時代が移り変わり、新しい芸人も続々と出ている中で、さんまだけが変わることなく根強い人気を保っていられるのはなぜなのか?

 その理由は、彼が時代に適応して少しずつ自分のキャラクターを変えていったからだ。「女好きで明るくよくしゃべる」という基本的なイメージは変わっていないのだが、そこに絶えず微調整が加えられているからこそ、さんまはいつまでも古びないでいられるのだ。時代ごとに彼がどういうキャラクターを打ち出してきたのか、デビューまでさかのぼって振り返ってみることにしたい。

 今でこそ、さんまは「笑いのカリスマ」として後輩芸人の尊敬を集めているが、もともとはそれほど真面目なタイプの芸人ではなかった。彼は高校生のときに落語家を目指して笑福亭松之助に弟子入りした。ところが、内弟子として修業を積んでいる最中に、当時交際していた女性と駆け落ち同然で東京に逃げてしまったのだ。その後、さんまはその女性と破局。再び師匠のもとに戻って頭を下げ、芸人としての活動を再開することになった。

 1970年代後半に大阪の番組『ヤングおー!おー!』(毎日放送)に出演し始めたのをきっかけに、彼はアイドル芸人として大ブレーク。「西の郷ひろみ」と呼ばれるほどの人気を得て、彼が出演するなんば花月の前ではいつも大量の女性ファンが出待ちをしていた。

 80年代に入ると、『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』(いずれもフジテレビ系)などの番組で頭角を現し、その人気は全国規模になった。『ひょうきん族』では「タケちゃんマン」のコーナーに出演し、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったビートたけしと軽妙な掛け合いを見せて、「知っとるケ」「アホちゃいまんねん、パーでんねん」など数々の流行語を生み出した。また、『笑っていいとも!』では、タモリとのトークコーナーが人気を博していた。

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