たけし、タモリの2番手だったさんまがバラエティー第一人者になったワケ (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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たけし、タモリの2番手だったさんまがバラエティー第一人者になったワケ

連載「道理で笑える ラリー遠田」

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共演者と掛け合う明石家さんま (c)朝日新聞社

共演者と掛け合う明石家さんま (c)朝日新聞社

 当時のさんまは「若さ」を売りにしていた。先輩であるたけしやタモリのサポート役に回り、2番手として彼らの見せ場を作る役目に徹していた。彼がそのポジションを選んだのは当時の時代背景も関係していた。80年代にはまだ東京で活躍する関西芸人も少なく、全国ネットのテレビで関西の芸人が中心的な地位を得ることは難しかったのだ。東京を中心とした東日本では、コテコテの関西弁や関西人のアクの強さがなかなか受け入れられなかった。

 そこでさんまは一計を案じた。あえて「…でんがな」「…まんがな」といったコテコテの古臭い関西弁を用いるようにしたのだ。意識的に関西色を強めることで、ほかの芸人との差別化を図ったのだ。その結果、彼はたけしやタモリの引き立て役として自由奔放に振る舞うことができた。この頃のさんまは「かわいげのある弟分」というポジションだった。

 1986年に『男女7人夏物語』(TBS系)に出演したことがきっかけで、全国区でもアイドル的な人気がピークを迎えた。ただ、この圧倒的な人気は、88年にドラマの共演者である大竹しのぶと結婚したことで、急速に衰えを見せることになった。結婚してからは、女好きの明るいキャラクターが影を潜め、巷では「さんまは面白くなくなった」とささやかれるようになった。

 そんなさんまが危機を脱したのは、1992年に離婚をしてからのことだ。額にバツのマークを書いて臨んだ伝説の「バツイチ会見」を経て、さんまは自身の離婚ネタを面白おかしく話すようになり、再び人気は復活した。そして、その後は数々の有名タレントとも浮名を流すようになり、女好きキャラが完全復活を遂げた。

 そんなさんまにぴったりの仕事がめぐってきた。1994年にスタートした『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)である。ここでは、ひな壇にズラッと並んだ個性豊かな一般人の若い女性たちが、あけすけに恋愛の体験談などを披露していった。さんまは男性代表として女性たちに向き合い、その面白さを引き出していった。この番組からは西川史子、小林麻耶をはじめ、数々の人気タレントも輩出している。さらに、この形式を応用して、さんまが多数の芸能人を相手にトークを展開する『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)も1997年に始まった。これは現在まで続く長寿番組となっている。


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