「吉田さんはすごく教養がある方で、演出に説得力がありました。秀吉とねねの夫婦が生き生きとしていたのは、歴史上の人物を生きている人間として描きたいという吉田さんの演出が適切だったからだと思います。信長役の高橋幸治さんは新人ながらどっしりしていました。緒形さんが『あいつの芝居はオレが押しても引いても突いても動かない。オレが芝居を変えてもあいつは変えないんだよ』といっていましたが、高橋さんの信長、緒形さんの秀吉がいつまでもファンの記憶に残っているのは、タイプが違うふたりの絶妙なコンビネーションによるものだと思います。石坂さんはまだ慶応の学生さんでした。刀を差しての座り方がぎこちなくて、可愛いなと思ったことを覚えています」

 「太閤記」で共演したその四人はそれぞれ人気を博したが、緒形と高橋のふたりは一気にスターダムを駆け上っていく。

「最初は高橋さんの方が注目されていました。信長を殺さないでという投書がたくさん寄せられて、本能寺の変の放送を何週間か先延ばしにしたくらい凄い人気だったんです。でも『太閤記』は秀吉が主人公ですから、本能寺の変以後は緒形さんの人気もグングン出てきて全国的に知られるようになりました」

 緒形の俳優人生は大河ドラマとの出会いによって急変する。「太閤記」でトップスターになったことによって、人生の目標にしていた新国劇スターへの道が閉ざされ、師・辰巳柳太郎との決別を余儀なくされたのだ。

 緒形に関する唯一の書籍である「緒形拳を追いかけて」の著者である映画評論家の垣井道弘氏は次のように語る。

「『太閤記』と緒形の出会いは運命というしかないですね。緒形は瞬く間に人気スターになりましたが、当時の彼は新国劇の一劇団員ですから、昼の会と夜の会の舞台をやって、深夜に『太閤記』の収録に臨まなければならなかったので、しばしば徹夜になりました。『太閤記』は合戦のロケ撮影が多くて夜行列車を乗り継いで撮影現場に行ったこともしばしばでしたから、精神的にも肉体的にもたいへんに厳しかったと思います」

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