「CDジャケットよりもはるかに美しくて、驚きました。ZARDの初期は特にロック色の強い曲も多かったけれど、坂井さんの容姿からはさほどは感じませんでした」

 小林さんの年齢は坂井さんよりも1つ下。同世代だったせいもあり、とても気さくに話しかけてくれた。

「ブレーク直後の大切な所属アーティストの担当にド新人を付けた会社の判断にもびっくりですけれど、音楽業界について右も左もわからないド素人同然の私を快く受け入れてくれた坂井さんの度量の大きさにも驚きました。とても丁寧な言葉で、優しい話し方で、すごくうれしい気持ちになったことを覚えています。ちなみにその日、坂井さんが着ていたセーターは、後に『揺れる想い』の映像でも見ることができます。同性から見てもどきどきするほどのかわいらしさでした」

 そんな坂井さんが悲しみの涙を流す姿を小林さんは一度だけ目撃した。週刊誌やスポーツ紙で坂井さんがデビュー前、レースクイーンやモデルをしていたことが取り沙汰されることもあったのだが、ある時事実と異なる記事が掲載された。

「坂井さんはZARD以前の自分の活動については、それも自分のキャリアの一部だとそのまま受け入れていました。ただ、事実ではない中傷記事がスポーツ紙に大きな見出しになったときは、涙がこらえきれなかったようです。私たちに泣き顔を見せたくなかったのでしょう、しばらく化粧室から出てきませんでした。それが、私がただ一度だけ見た、坂井さんの悲しみの涙です」

■女性アーティストではあり得ない行動で驚かす

 大ヒットを続けるZARDであったが、本人稼働によるプロモーションはほとんどなかった。

「ZARDのスケジュールは制作主導です。坂井さんは歌詞を書き、時には翌日にレコーディングし、数日後にはジャケットやプロモーション用の撮影を行います。過密スケジュールなので、プロモーション稼働の時間はとれません。本人稼働なしで、タイアップでオンエアされるTVサイズの短いZARDの音源をもって、販促や営業を行っていました。テレビや新聞や雑誌などでメディアのインタビューに対応するのは最小限です。当然、プロモーション担当や営業担当はとても苦労します。本人稼働がないとプロモーション展開は厳しいなどと本当によく言われていて、アーティスト担当の私と現場をまわるスタッフたちは日々せめぎ合っていました。ただ、今になって思うのは、ZARDとしての制作主導のあり方がこんなに多くの素晴らしい作品を世の中に残してくれた。それは間違っていなかったんです」

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