坂井泉水さん(写真:株式会社ビーイング提供)
坂井泉水さん(写真:株式会社ビーイング提供)

 ZARDのヴォーカル・坂井泉水さんがヒット曲を連発した全盛期を陰で支えたスタッフのひとりが、ZARDの宣伝販促の担当であり、撮影や海外ロケに同行するなど、マネージャー的な役割も果たしていたA&Rの小林さゆ里さんだ。担当となった当時は新人で音楽業界のことを右も左もわからないど素人だったが、坂井さんは快く受け入れてくれた。そんな小林さんが目撃した坂井さんの涙とは――。

【いつも自然体だった坂井泉水さんの美しい姿】

*  *  *

「どうして、あの時、もっときちんと話をしなかったのだろう」
「どうして、あの時、すぐにその場を去ってしまったのだろう」

 1990年代に坂井泉水さんのA&Rを務めた小林さゆ里さんは、今も悔やんでいる。

「2006年のことです。会社のエントランスでぼうっと歩いていたら、正面から来た女性とぶつかりそうになりました」

 あわてて謝った。

「すみません!」

 頭を下げ、顔を上げたら、坂井さんだった。

「お疲れ様です!」

 大声で挨拶して、驚きのあまりあわててその場を去った。

「担当でなくなって何年も経っていましたけれど、坂井さんは私にとって永遠にリスペクトの対象です。驚き過ぎてお話が出来なかった。まさかそれが最後になるなんて思っていませんでした」

 坂井さんは2007年5月27日に、入院中の転落事故で他界し、それと直接的な関係はないが、その後小林さんは音楽業界を離れて生活をしている。

 小林さんが坂井さんの担当になったのは1993年4月。「負けないで」が大ヒットした直後だ。その年の1月にZARDが所属するレコード会社兼プロダクション、ビーイングに入社し、3カ月目に内示を受けた。

「明日から君はZARDの担当だ。今、坂井さんがスタジオに来ているから、挨拶してきて」

 上司に言われるまま挨拶に行った。

「若かったし、音楽業界は初めてだったので、ZARDの宣伝担当になることに何も疑問を持たず、さしたる不安も覚えず、スタジオに向かいました」

 写真で見ていた坂井さんに対する小林さんの印象はもの静かな女性。伏し目がちの、どちらかというと沈んだ表情のカットしか目にしたことがなかったからだ。

 しかし、スタジオには、白いセーター姿の輝くような坂井泉水がいた。

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神舘和典

神舘和典

1962年東京生まれ。音楽ライター。ジャズ、ロック、Jポップからクラシックまでクラシックまで膨大な数のアーティストをインタビューしてきた。『新書で入門ジャズの鉄板50枚+α』『音楽ライターが、書けなかった話』(以上新潮新書)『25人の偉大なるジャズメンが語る名盤・名言・名演奏』(幻冬舎新書)など著書多数。「文春トークライヴ」(文藝春秋)をはじめ音楽イベントのMCも行う。

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