先行の8大学が都心部に位置したこととは対照的に、新設医大は山手線の外に建設されています。当時の私立医大の経営者たちが、戦前・戦後の東京のベッドタウンの拡張を考慮して、新病院建設地に選んだのでしょう。このような新設大学が、人口が増加する東京北部と南部の医療を担ってきました。

 都立墨東病院がカバーする東部(墨田区・江東区・江戸川区)・東北部(荒川区・足立区・葛飾区)と西南部(目黒区・世田谷区・渋谷区)には大学病院本院が存在せず、23区外の杏林大学しか存在しません。

 人口278万の東部・東北部、人口140万の西南部は、人口規模的には県に相当しますが、このような地域では「一県一医大」が実現していないことになります。人口約422万人が住む23区外には、医学部が一つしかありません。

 東京都の中でも特に医師が不足している地域です。08年には、この地域で妊婦のたらい回し死亡事件、俗にいう「都立墨東病院妊婦死亡事件」と「杏林大学妊婦死亡事件」が起こりました。この地域の医療体制をどう整備するかは大きな課題です。

※『病院は東京から破綻する』から抜粋