浅田真央が一番印象に残っていると語ったソチ五輪フリーの演技(c)朝日新聞社
浅田真央が一番印象に残っていると語ったソチ五輪フリーの演技(c)朝日新聞社
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 いつか来るとはわかっていた。それも、そんなに遠くないと覚悟はしていたはずだった。それなのに、いざ直面すると、気持ちが激しく揺さぶられた。

 2017年4月10日、浅田真央さんが、現役引退を表明した。

 振り返ってみると、印象深い演技やシーンが思いのほかたくさんある。

 2002年12月、京都で開催された全日本選手権。小学校6年生だった彼女がトリプルアクセルを跳び、3連続3回転ジャンプを跳んだフリー『インカダンス&アンデス』。今よりも小さくて細かった彼女の快挙に、観客席にいた男子選手たちがスタンディングオベーションをしていたのも覚えている。

 2005年12月のグランプリファイナルのフリー『くるみ割り人形』。首筋から背筋がきれいに伸びた姿勢で見せる、ワルツに合わせたリズミカルなスケートと軽いジャンプ。冒頭のトリプルアクセルとともに圧巻だった、最後3つのコンビネーションジャンプ。満員の代々木第一体育館が沸き返った。

 2007年3月、優勝候補として臨んだ東京での世界選手権。ショートプログラム5位発進後のフリーでは、こだわってきた「ステップからのトリプルアクセル」を含むはつらつとした『チャルダッシュ』を見せ、演技後に涙を見せた。

 2008年3月、イエーテボリでの世界選手権。冒頭のトリプルアクセルを踏み切るところで激しく転倒。だがその後ジャンプを決め続けて初めて世界チャンピオンになったこと。

 2010年2月のバンクーバー五輪。ショートプログラム『仮面舞踏会』の、これでもかと踏み続けるステップシークエンスと、清々しい笑顔。フリーの後のコメントと涙。銀メダル。

 スケーティングやジャンプなどを基礎から見直したことで、試合での成績だけを見ると低迷しているように見えた時間。

 3年ぶりに進出した2011年12月のグランプリファイナル。渡航先で知った母の体調悪化とファイナル棄権、母の逝去。2週間ほど後の全日本選手権で皆が見守る中で見せた、夢のように美しいフリー『愛の夢』。

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