■贈答儀礼に使われた名物刀剣

 室町時代には、足利将軍家と諸大名との間での贈答儀礼が盛んに行われるようになり、重要な儀礼の贈り物には、刀剣が用いられた。特に将軍への献上品には名工の作による刀剣が選ばれ、古今東西の刀鍛冶の名が取り沙汰されるようになった。この贈答に用いられる刀剣を鑑定したのは、室町幕府に仕え、刀剣の研ぎと鑑定を生業とした本阿弥(ほんあみ)家である。

 本阿弥家の歴代中最も著名な光徳(1554~1619)は、豊臣秀吉に仕え、刀剣の鑑定書「折紙(おりがみ)」を初めて発行した人物として知られる。時代が下り、江戸時代中期に活躍した光忠の時代には、時の8代将軍徳川吉宗の命を受けて、同家に伝来した名刀の鑑定記録を整理し、一冊の書物を献上したと伝えられる。この書物が世にいう『享保名物帳』で、この中に登場する刀剣が「名物」とされた。数ある名刀の中で名物とされたのは、卓越した出来栄えに加え、所持者が有名で、由緒来歴が明らかな刀剣であった。なかでも注目されるのは、藤四郎吉光(山城国)・正宗(相模国)・郷義弘(越中国)の刀工3人を「天下三作」と称して『享保名物帳』の冒頭に掲げ、別格の存在として取り上げたことで、この3人の作が名刀中の名刀として尊重されることとなった。

 刀剣はしばしば「武士の魂」と称されるように、武士自身を象徴する重要な所有物であった。江戸時代の将軍や大名といった武士階級の最上層の間では、室町時代・戦国時代に引き続き、贈答品に名刀が用いられた。江戸時代に徳川将軍家や諸大名が多数の名刀を所持したのは、以上の理由による。(徳川美術館学芸員・並木昌史)

※週刊朝日MOOK『武将の末裔 伝家の宝刀』より