伊東潤さん
伊東潤さん

 2015年2月に急逝した火坂雅志氏の絶筆となる未完の大河歴史小説『北条五代』を、斯界の第一人者である伊東潤氏が書き継ぐことになった。亡くなる直前まで大活躍していた火坂氏を先輩作家としてリスペクトしていた伊東氏。

 今回のように、急逝した人気作家の未完の作品が劇的にバトンタッチされることは非常に珍しい。また司馬遼太郎氏が『箱根の坂』で初代早雲を描くなど北条氏を主人公にした歴史小説はあるが、初代早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直と五代百年にわたる北条氏の興亡に軸を据えた作品は、過去にあまり例がない。

 火坂氏への思いと『北条五代』にかける覚悟を、伊東氏のエッセイ「衣鉢を継ぐ」から読み取っていただきたい。

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 火坂さんのご自宅からは相模湾が臨める。

 執筆に疲れた時、大好きな日本酒を飲みながら、火坂さんがあの海を眺めていたと思うと、感慨深いものがある。

 8年ほど前に某画伯の旧宅があった土地の一部を買い取り、改築したというその邸宅は、落ち着いた佇まいの住み心地のよさそうな家だった。

 執筆机の後ろには広い書庫があり、そこには大量の書籍が、生前と変わらず並べられていた。それを調べつつ執筆する火坂さんの姿が、目に浮かぶようである。

 周知のことだと思うが、火坂さんは2015年2月、急性膵炎でお亡くなりになられた。享年は58――。

 奇跡的に病状が好転し、退院の予定日まで決まっていたさなかに突然、訪れた死だった。

 後には奥様が残された。その悲しみを書きつづるのは、私の筆の及ぶところではない。ただ、お二人がいかに仲睦まじかったかは、火坂さんの手書き原稿を、奥様がすべて清書していた一事からでも推し量れると思う。

 火坂さんは、愛してやまない奥様と閑静なご自宅、そして膨大な作品群を残し、この世から足早に去っていった。残された作品群は火坂さんの確かな足跡であり、いつまでも読み継がれていくべきものである。

 私も多数の火坂作品を読んできた。その作品個々の素晴らしさを語るのは別の機会に譲るが、火坂さんは故山本兼一さん同様、わたしたち後進の目指すべき高峰だった。

 その流麗な文章で書かれた作品群は、どれもが面白いのはもちろん、凜としたさわやかさに溢れており、まさに王道を往く作家としての風格が漂っていた。

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