場所別にみた死亡者数の推移 (c)朝日新聞社
場所別にみた死亡者数の推移 (c)朝日新聞社

「2025年問題」という言葉を知っているだろうか。団塊世代がすべて75歳以上になり、医療・介護の提供体制が追いつかなくなる問題だ。遠い未来のように感じるかもしれないが、2020年の東京五輪から、たった5年後のことなのだ。

 この問題に強い危機感をもった朝日新聞横浜総局は、特別取材班を立ち上げ、2013年11月から神奈川版で「迫る2025ショック」を連載。多くの反響を受け『日本で老いて死ぬということ』(朝日新聞出版)という一冊の本にまとめることとなった。取材班キャップを務めた朝日新聞記者である佐藤陽氏に、2025年問題の重大さについて、改めて寄稿してもらった。

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「受け入れるベッドはありません。どこか、ほかの病院を探して下さい」

 ある夜、Aさんは、容体が急変した寝たきりの父親(85)を救急搬送しようと119番通報した。救急隊員がいくつもの病院を当たったが、どこも受け入れてくれなかった。近くの救急病院には、Aさんの父親と同じように、「看取り」をする高齢者たちが長蛇の列を作っていたのだ。

 実はAさんは、自宅で父親を看取ろうと、何人もの「在宅医」に訪問診療をお願いした。自宅で亡くなる場合、かかりつけ医がいないと「不審死」として扱われ、警察に届けないといけないからだ。だが、「今の患者さんで手いっぱい」と、すべて断られていた。最後は、救急車でお願いしようかと思ったが、この結果だった。

 Aさんは思った。「もう病院でも家でも死ねない時代になったのか。道端で死ぬしかないのか……」――。

 これは、現段階では架空のストーリーだが、2025年以降には実際に起きる可能性の高い問題だ。事実、厚生労働省は「2030年には約47万人が、死に場所が見つからない“死に場所難民”になる可能性がある」と警告している。つまり、自宅や病院、介護施設で亡くなることが、難しくなるということだ。

「2025年問題」には、社会保障費のさらなる膨張と、医療・介護の人材不足という大きな2つの問題が横たわる。今は75%の人が病院で亡くなっているが、これだけ高齢者が増えると、病院のベッドだけでは圧倒的に足りなくなる。ならば「自宅で最期を迎えたい」と望んだとしても、今のままでは在宅医や訪問看護師、訪問介護ヘルパーの数は、足りない。

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