新国立競技場デザインの隈研吾が最後にきっちりデザインしたいものとは? (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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新国立競技場デザインの隈研吾が最後にきっちりデザインしたいものとは?

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「死を覚悟することで、人間は幸せになれる」と語る隈研吾さん。人生最後の「家」となる墓の設計も自ら手がけた。隈さんが考える「死との向き合い方」と、そこから生まれる「肯定的な生き方」とは。週刊朝日ムック『はじめての遺言・葬式・お墓』に掲載された、隈研吾さんインタビューの一部を抜粋してお届けします。

*  *  *
――隈さんの事務所4階テラスには、空中に浮かぶような三方ガラス張りの会議室がある。そこから一望できる風景の中に、隈さんが設計した寺院が見える。約370年の歴史を持つ「梅窓院」だ。

隈:この事務所も梅窓院の一部なんですよ。15年ぐらい前、梅窓院の建て替えの際に建物やホールなどを設計させていただきました。この事務所の建物もぼくが設計しましたが、敷地も建物も梅窓院の持ち物です。そういうよしみもあり、実はぼくの父親のお墓を梅窓院に移しています。

 もともと隈家は、長崎県大村の寺「本経寺」の檀家でした。本経寺には大村藩の殿様だった大村家のお墓があり、家老を務めていた隈家のお墓は殿様のお墓の隣に立っていました。でも、「長崎まで毎回、お参りは大変だな」って、約30年前に父親が静岡県の冨士霊園にお墓を移したんです。それから冨士霊園に時々お参りに行っていたのですが、それでもやはり、静岡は遠い。環境はいいのですが、お墓が遠いところにあることの不便さを感じていました。父親は1994年に85歳で亡くなり、冨士霊園のお墓に入りました。

 その後、梅窓院を設計し、自分の事務所を梅窓院の隣に構えたのを機に、「毎朝でも父親にあいさつに行けたらいいんじゃないか」と考え、梅窓院にお墓を移したのです。それが結構、精神的にもよかった。父親は亡くなったけれども、今でもすぐわきにいる、という不思議な感じがするんですよね。自分もそのお墓に入ると決めています。息子もそう認識しているでしょう。一人っ子ですし、割と面倒見のいいタイプだから、お墓を継いで面倒をみてくれると思います。


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