「死を覚悟することで、人間は幸せになれる」と語る隈研吾さん。人生最後の「家」となる墓の設計も自ら手がけた。隈さんが考える「死との向き合い方」と、そこから生まれる「肯定的な生き方」とは。週刊朝日ムック『はじめての遺言・葬式・お墓』に掲載された、隈研吾さんインタビューの一部を抜粋してお届けします。

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――隈さんの事務所4階テラスには、空中に浮かぶような三方ガラス張りの会議室がある。そこから一望できる風景の中に、隈さんが設計した寺院が見える。約370年の歴史を持つ「梅窓院」だ。

隈:この事務所も梅窓院の一部なんですよ。15年ぐらい前、梅窓院の建て替えの際に建物やホールなどを設計させていただきました。この事務所の建物もぼくが設計しましたが、敷地も建物も梅窓院の持ち物です。そういうよしみもあり、実はぼくの父親のお墓を梅窓院に移しています。

 もともと隈家は、長崎県大村の寺「本経寺」の檀家でした。本経寺には大村藩の殿様だった大村家のお墓があり、家老を務めていた隈家のお墓は殿様のお墓の隣に立っていました。でも、「長崎まで毎回、お参りは大変だな」って、約30年前に父親が静岡県の冨士霊園にお墓を移したんです。それから冨士霊園に時々お参りに行っていたのですが、それでもやはり、静岡は遠い。環境はいいのですが、お墓が遠いところにあることの不便さを感じていました。父親は1994年に85歳で亡くなり、冨士霊園のお墓に入りました。

 その後、梅窓院を設計し、自分の事務所を梅窓院の隣に構えたのを機に、「毎朝でも父親にあいさつに行けたらいいんじゃないか」と考え、梅窓院にお墓を移したのです。それが結構、精神的にもよかった。父親は亡くなったけれども、今でもすぐわきにいる、という不思議な感じがするんですよね。自分もそのお墓に入ると決めています。息子もそう認識しているでしょう。一人っ子ですし、割と面倒見のいいタイプだから、お墓を継いで面倒をみてくれると思います。

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