罪人として葬られていた松陰の復権のため改葬許可を幕府に求めたり、長州藩の藩校「明倫館」の教材に、松陰の著作を採用させたり、松陰の著作の出版事業に尽力したり……。久坂は松陰を「尊王攘夷」のシンボルとして、祭り上げていった。一坂氏は、松陰の復権に尽力した久坂には「政治家」としての野心もあり、いわば「松陰の死を利用した」(本書より)と述べている。

 一方、一坂氏は、松陰像の変遷をたどり「『吉田松陰』がもてはやされるのは、幸福な時代ではないように思う」(本書より)と、警鐘を鳴らす。たとえば、大正から昭和になると、松陰は、小学校の「修身」の教科書にもたびたび登場。国家にとって都合が良い部分だけ拡大解釈され、戦争遂行「尊王愛国」「忠君愛国」のシンボルに利用された。松陰を祭り上げた日本国家がどういう展開を迎えたかについては、あらためて言うまでもないだろう。

 本書は、知られざる久坂玄瑞の生涯をたどるとともに、大河ドラマでは描かれない吉田松陰の実像に迫り、従来の松陰像について一石を投じる内容となっている。