明治維新の立役者を輩出した松下村塾を主宰し、維新の精神的シンボルとなった吉田松陰(通称:寅次郎)。今年の大河ドラマ『花燃ゆ』では、松陰の妹、杉文(すぎ・ふみ)の視点から、松下村塾の塾生と、幕末の激動に揺れた長州藩を描いている。

 吉田松陰と言えば、数多くの維新志士たちを育てた教育者としてのイメージ、歴史の偉人という印象を持つ方がほとんどだろう。

 だが、歴史研究家の一坂太郎氏は、本書『吉田松陰――久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」』(朝日新書)で、「松陰には、国の要人を殺して物事を解決しようとする『テロリスト』としての一面も強くあるのだが、そうした不都合な部分は極力封印されてしまった」と指摘している。また、一坂氏によれば、松陰は「安政の大獄」で刑死するまで、長州藩以外では、あまり知られていない人物であったという。

 それでは一体なぜ、テロ行為を計画して処刑され、一時は「国賊」扱いされていた松陰が、死後は一転して神格化され、全国区でも知られる偉人となるに至ったのだろうか。一坂氏は、現在の偶像化された松陰像の流布には、弟子の久坂玄瑞(くさか・げんずい)の功績が見逃せないと指摘する。

 久坂が本領を発揮したのは松陰の死後。松陰は生前、妹の文を久坂に嫁がせており、松陰にとって久坂は義弟に当たる。久坂は松陰の義弟という立場を最大限利用し、松下村塾を拠点に同志の結束を固めつつ、松陰の“偉人化”を進めたのである。

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