1984年、デビュー3年目の小泉今日子は、『生徒諸君』という映画に出演しました。そこで彼女が演じたのは、ナッキーとマールという双子の姉妹です。ナッキーは、快活なスポーツ少女。これに対しマールは、病弱で知能に障害があり、映画の中で夭折します。

 私はこの映画を、公開当時、劇場で観ました。小泉今日子のマールが浮かべる、透明で儚げな微笑みを見て、何ともいえない居心地の悪さを感じたのを覚えています。

 映像の中に現れる「儚げな少女」は、「おれが何とかしてやらないと」という気持ちを呼び起こすものだと、それまで私は思っていました。ところが小泉今日子のマールは、淡雪のように儚げでありながら、男性が力になってあげられるようには、まったく見えませんでした。スクリーン上のマールをどういう心がまえで眺めたらいいかわからなくて、私は混乱してしまったのです。

 小泉今日子が時として「セックス・アピールに欠ける」と評されるのは、おそらくこのような「男性には取りつく島のない部分」があるせいです。

 デビュー直後の「懐かしのアイドル路線」が大成功に至らなかったのも、彼女のこういう性質が影響しています。先に触れたとおり、「レトロアイドル」だった頃の小泉今日子は、「男の子に甘えてすがりつくような表情」を懸命に作っていました。私の印象では、その「甘え顔」は、まったく板についていませんでした。

■「自分を見きわめる力」のすごさ

 モンローほど激しくないにせよ、精神的な欠落を男性の関心を得ることで埋めようとする欲求は、多くの女性の内面にひそんでいます。これにうながされて男性の「おれが何とかしてやらないと」感に訴えかければ、恋愛方面でそれなりの成果を得ることも可能です。

 ただし、このやり方で男性の関心を引きつけると、同性の反発を買うことは避けられません。美貌や才能ではなく、男性への依頼心を武器にターゲットにせまるのは、「反則」に見えるからでしょう。

 男性の思い入れを拒んでいる部分のある小泉今日子は、その種のズルをして、相手にアピールしそうにありません。だからこそ、同性から信頼されているともいえます。

 小泉今日子は、「『人間は一人だ』という感覚が、よくわかるんですね?」という質問をインタビューで振られた際、次のように答えています。

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