「大島さん(まんが家の大島弓子のこと)じゃないけれど、こんな広い宇宙に一人なんだな、と空を見上げてた。実際13歳ぐらいで父の事業が失敗して家庭崩壊が始まりましたから、やっぱりそうだよね、といつも思ってました。だから、生きている実感が欲しくて、仕事、見つけたんです」(注2)

 私生児だったモンローほどではないにせよ、小泉今日子も、順境のなかで成長したわけではありません。そこで感じた孤独を、だれかに愛されることで埋めようとせず、「やっぱりそうだよね」と、「人生の前提条件」として受けいれる――そうした「自分の置かれた状況を心静かに見きわめる力」が、小泉今日子にはそなわっています。

 この「自分を見きわめる力」が、小泉今日子の「らしさ」を支えている最大の要因だと私は考えています。彼女がこの力をどのように身につけ、それによって何を達成したか――この連載ではくり返し、その点に触れることになるはずです。

 「一人であること」を受けいれたため、小泉今日子は、心の欠落を男性の愛情によって充たす方向には走りませんでした。「レトロアイドル」としては大ブレイクできなかったり、トップアイドルになったあとも、セックス・アピールにとぼしいといわれたり――異性からの評価に依存しなかったことは、芸能生活のうえでマイナスにも働きました。けれども、小泉今日子が考える「普通」を、多くの女の子が支持したのは、

「男の子ウケとは関係ないかわいらしさ」

を、彼女が体現していたからだと思います。

蒼井優との対談で、小泉今日子はこんなことをいっています。

「(憧れの女性というのは)心の核に“少女”を大切に持っている人かなぁ。誰に見せるわけでもないし、普段は漢らしく生きているんだけど、ひとりに戻った時、それを取り出して慈しんでいる。本を読んだり、お花を生けたり、ふと誰かを思ったりしてね。そういう人は、おばあちゃんになっても魅力的だし、どこか隙があるのもかわいいの」(注3)

 この発言は、2011年のものです。小泉今日子はしかし、断髪したそのときから、「漢らしい少女」として振る舞ってきました。その姿に、私のように未熟な男性はとまどい、同世代の女性たちは喝采をおくったのです。

※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました

(注1)たとえば、『スクリーンデラックス ハリウッドの美神マリリン・モンロー』(近代映画社 2002年)というムックに掲載されたモンローの評伝は、次のように締めくくられています(筆者は伊上冽)。「誘惑に満ちた肉体とは裏腹に、魂は幼女のごとく無垢だったマリリンを殺したのが、人間性を無視して営利のみを追うハリウッドなのだということを、ディマジオはマリリンを通して誰よりもよく知っていたからである。」
(注2)「小泉今日子ロングインタビュー 目指すのは中年の星!」(『AERA』2008年9月22日号)
(注3)蒼井優『8740 DIARY 2011~2014』(集英社 2014年)

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など