1980年夏のことだ。私と妻、そしてビルとその彼女ら6人は、カリブ海でヨットクルーズを楽しんでいた。そこで話題に出たのが、ビルに参謀役をつける時期が来たのではないかということだった。

 私が、「ビルにもそろそろ男の秘書役がいるんじゃないの」と言ったらビルは、「東京に行くと、お偉いさんは皆、運転手つきのクルマに乗っているけれど、あれは贅沢だと思わないか」と反論する。

 そこで、「それは日本の常識であって、今、言っていることは話が違う。女性の秘書はすでにいるけれど、男の秘書は役割が違う。君の分身として動く人物だ。メールを送っても返事が遅いし、電話もつながらない。そんな状態は、今後、ビジネスが拡大していく中で会社のリスクになっていくのではないか」と言った。

 ビルが納得したようなので、「誰かいないか」と聞くと、「スティーブがいい」という話になった。

 スティーブは、ハーバード時代にビルと学生寮で同じ部屋に住んでおり、第2優等で卒業した秀才だった。学校を出た後はP&Gに勤め、当時はMBAを取得するためにスタンフォードの経営大学院に学んでいた。

 カリブ海のヨットから、スティーブに無線経由で電話をかけた。「年俸5万ドルでマイクロソフトに来ないか」。当時の無線電話は、秘話システムなどないから話の内容はダダ漏れだったろう。と言っても、マイクロソフトという会社名など、一般の人はまだ誰も知らない頃のことだから、なんら問題はなかった。

●「コンピューターはメディアである」の具現化で決まるIT世界の栄枯盛衰

 結局、ビルも私も、パソコンやネット、デジタルメディアの分野ではそれなりの仕事を残せたものの、スマホでは仕事らしい仕事はなにもしていない、いや、できなかった。それは、われわれにとって蹉跌であった。

 だからこそIoTやクラウドでは、結果を残したいと頑張っているのだが、基本的な考えは、初期の頃と何ら変わっていない。「コンピューターはメディアになる」という認識だ。

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