私が仲間と『月刊ASCII(アスキー)』を創刊したのは1977年のこと。その創刊号のコラムで、私は「コンピューターはメディアになる」と書いた。その意味するところは、コンピューターはまず数字を扱い、次に文字を扱うようになり、そして写真やグラフィックスを扱うようになる。そこでとりあえずの成熟を迎え、そこからさらにオーディオ編集やビデオ編集などの世界が始まってくるというものだった。

 なぜそんな認識を持ったかといえば、私がアマチュア無線をやっていたからだ。無線そのものは、音声や電信での通信を楽しむものだが、実はアマチュアでも電波を利用して音声映像を送受信したり(つまりテレビだ)、テレタイプをやったり、ファックスのような送受信を行うなど「上級者ならではの」楽しみ方があった。

 無線家にとって、コンピューターは通信機に他ならなかったし、ならば通信機と同様に数字や音声、映像などさまざまなメディアを展開できると考えるのはすごく自然な発想だったのだ。

 メディアとは、具体的には「情報を運ぶ」「情報を売る」「情報に広告を載せる」という三つの要因で成立している。従前は、運ぶを郵便や電話が担い、売るを新聞や雑誌が担い、広告を載せることはテレビが担うという形で、事業として成立させてきた。

 それぞれ個別の事業が、IT革命でどんな変容を迫られているかは、次回で詳しく述べてみようと思うが、いずれにしもスマホというツールが、メディアとしてどのような機能を発揮するかについて私は具体的な認識を持たず、技術的にもソフト的にも具体的な関わりを持つことができなかった。これは非常に悔しい。

 15年周期の第4時代である45歳以降は、研究者や教育者として生き、成果物も少なくなかった。マイクロプロセッサー「ネクスジェン686」、日本初のメディアセンター、世界初の64ビットパソコン、日本最速スーパーパソコンクラスターなど、自慢できる成果はあるのが、主流となるスマホに関わっていくものではなかった。

 ネットを軸にしたIoTとクラウドの新しいIT世界は、私が取り組んできたことを存分に活かせる場でもある。コンピューターはメディアとなる、という基本認識をどのように拡張していけるか、また流れに重ねていけるか。それが具体的にどのような形で展開されるか。次回は、その展開のアイデアについて既存メディアの変容などを踏まえつつ述べてみたいと思う。

(西 和彦:東京大学工学系研究科IoTメディアラボラトリー ディレクター)