五社協定により、津川雅彦や山本富士子、田宮二郎など多くの俳優、女優が映画界から干され、たびたび社会問題化した。

 たとえば、57年公開の映画『異母兄弟』が五社協定違反の俳優を起用していたとして、一部映画館で上映中止に追い込まれるという事件が起き、この時は公正取引委員会が独占禁止法違反の疑いがあるとして審査に乗り出した。しかし「協定中、違反の疑いのある条項を削除し、その後このような行為を繰り返しておらず、違反被疑行為は消滅したと認められたので、本件は不問に付した」(『昭和37年度?公正取引委員会年次報告』)という結論が下された。ただし、五社協定は実態としてはその後も存続し、映画界の活力を失わせる要因となったのだ。

 五社協定は、映画がテレビの勢いに押され凋落した70年代に入ってから自然消滅したとされるが、テレビを活動の軸とする芸能事務所もまた、五社協定のシステムを引き継いでいる。

 五社協定後の芸能界を牽引したのは渡辺晋、美佐夫婦が創業した渡辺プロダクションであり、当初は独占企業である渡辺プロの采配が業界のルールを決めていた。だが、次第に渡辺プロ以外の芸能事務所も力を付けていき、タレントの引き抜きや独立で紛争が生じるようになった。そこで渡辺晋は63年に日本音楽事業者協会(音事協)という業界団体を組織し、主要な芸能事務所の多くを加盟させた。

 音事協が発行したインタビュー集『エンターテイメントを創る人たち?社長、出番です(1995年発行)』で第一プロダクション社長の岸部清はこんな発言をしている。「(音事協は)そもそも、タレントの独立問題が背景にあって、ちょうど映画の五社協定に似た形で、親睦団体を名目に創設したわけです」

 80年代ごろから、芸能界では渡辺プロに代わり、バーニングプロダクションの周防郁雄社長が台頭。「芸能界のドン」と呼ばれるようになり、タレントの引き抜きや独立阻止で辣腕を振るうようになる。

●音事協に加盟せず独自路線をとったジャニーズ

 ただし、ジャニーズ事務所は実はこの音事協に加盟していない。その理由は定かではないが、必要がなかったということが大きかったと思う。

 ジャニーズ事務所は男性アイドル市場において圧倒的なシェアを誇っており、「ジャニーズにあらずんば男性アイドルにあらず」という世界。ジャニーズに断りもなく、男性アイドル市場に参入してくる芸能事務所があれば、ジャニーズは徹底的に潰しにかかるため、ほとんどが成功しない。

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