94年2月17日、ジャニーズ所属の田原俊彦は長女の出産報告会見の席上、「何事も穏便にやりたかったけれど、僕ぐらいBIGになっちゃうと、そうはいきませんてのがね、よく分かりました」と発言。マスコミから集中砲火を浴び、人気が低迷したと世間では思われている。たが、実は田原はその会見の直後にジャニーズから独立する予定になっていた。

 つまり、田原はジャニーズという後ろ盾を失ったために過剰にバッシングされたのだった。さらに田原はジャニーズからの共演を拒否されたことで長い間、芸能活動が停滞した。

 96年には、SMAPの木村拓哉の独立騒動が話題になった。当時の報道によれば、木村はジャニーズの待遇を不満に思い、他の芸能事務所に移籍を打診したという。だが、この時は、稼ぎ頭である木村の離脱に慌てたジャニーズ側が業界の実力者に話を潰すよう依頼し、移籍話は立ち消えになったという。

 とはいえ、木村はこの騒動の結果、ギャラ交渉で優位に立てるようになり、収入を増やすことに成功した。その後も独立騒動はくすぶりつづけたが、木村はこの問題に関するマスコミの取材に対し、明確には否定せず、はぐらかした。彼には、ジャニーズにプレッシャーを与えて好条件を引き出そうという打算があったのかもしれない。

 この事件から20年後の今年、SMAPの独立騒動が起きたが、今回、木村はジャニーズに操を立ててジャニーズ残留を決めた。最近、この木村と、木村にジャニーズ残留を迫ったと言われる妻の工藤静香が『週刊文春』のアンケートで「嫌いな夫婦」1位にランキングされ、話題となった。打算によって育ての親である飯島氏を裏切り、ジャニーズに付いたというイメージが世間では嫌悪されたようだ。

●ジャニーズと距離をとりケイダッシュへの依存を高めるテレ朝

 さて、独立騒動時にSMAPの受け入れ先として名前が挙がったのは田辺エージェンシーだったが、実際のところ、田辺エージェンシーのバックにはバーニングプロダクションと関係が深いケイダッシュがついていた。SMAPの移籍計画はケイダッシュが主導権を握り、飯島氏と連携していたと言われる。

 芸能関係者は次のように指摘する。

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